「それ、綺麗ですね。」
宿の縁側で一人佇む龍馬の姿を認めて、ゆきは声をかけた。
良く晴れているが、まだ昼前で照りつけもさほど強くない、清々しい天気だった。
「お、お嬢か・・・」
少し、驚いた風に肩を跳ねさせた龍馬だったが、すぐに斜め後ろのゆきを向き直る。
「べっ甲?」
先ほどまで、眩しそうに目を細めて陽に透かしていたものを見る。
龍馬の手元にあるのは、べっ甲細工の帯留めだった。
「ああ、これか。これは帯留めだ。ここに紐を通して腰にくくるんだ。」
少し、眉根を寄せた苦笑顔でゆきの手のひらに帯留めをのせる。
それを、同じように頭上に掲げて陽に透かした。眩いけれど柔らかい金色が視界に広がる。
「ふふ、綺麗ですね。これどうしたんですか?」
龍馬は、持ち前の好奇心と、元はそれなりに裕福な商家の出身だからだろうか。
この前のぽっぺんや香水のように、なかなかに気の利いたものを持ってくる。
大変に素敵なのだが、明らかすぎる程に一般人の手に届くものではないと分かるような、小松からの贈り物と比べれば、ゆきにとっては幾らか気楽で、しかし心を弾ませるようなものだから、自然、龍馬の持ち物には興味が湧いた。
今回も、その綺麗で柔らかな色合いをしたべっ甲細工はどこから手に入れたのだろうか、とただそれだけの興味で聞いたつもりだった。
「これは・・・。」
いつも歯切れのいい龍馬が言い淀む。しかし、一寸の後すっかりいつもと変わらない笑顔を見せる。
「昔の知り合いにもらったんだ。」
「そうなんですか。とっても素敵ですね。龍馬さんは帯留めはたくさん持っているんですか?」
「いや・・・、これは主に女性が使うものだからな。」
「そうなんですか?」
「ああ・・・。」
どうも、歯切れが悪い。
「おや、龍馬もすみに置けないね。」
後方から良く知った声が降ってきた。
「小松さん。」
振り返ると、薩摩藩家老である小松が、いつものように清廉な空気をまといながらも緩く微笑んでいた。
ちょっと失礼、などと言いながら、ゆきの手元から帯留めをつまみ上げる。
「へえ、なかなかに良い品だね。これを贈った女性は目が肥えている。それなりに裕福でもあるね。」
淡々と贈り主について考察を述べる小松に、小首を傾げながらゆきは問いかける。
「そんなこと分かるんですか?」
「分かるよ。君たちの世界や時代と違って、ここでは持ち物で大体の素性は知れる。」
そう言ってゆきを見下ろせば、その目が”誰なの?”と訴えかけていた。
ちらと龍馬の方を見れば、何とも決まりの悪い顔をしている。まあ、そうだろうね、と思いつつも、ここで龍馬にいらぬ気遣いをするのも不自然に思え、小松は浮かんだままを口にすることにした。
「そうだな。どこかの裕福な商家の娘の持ち物・・・ということも考えられるけれど、妥当なのは島原あたりのひとなんじゃない?そこそこの位の。一時期、芸妓と契りの証に帯留めを交わし合う、なんてのも流行ってたみたいだしね。」
「そ、そうなんですか。」
いつもは、徹底して無表情にも思えるゆきの顔が、少し動揺の色を見せたようだった。
「ねえ?当たらずも遠からずってところじゃないの、龍馬。」
確認するように声を投げれば、困ったように首筋を掻きながら、言うべき言葉を探すように唸っている。
「あー、そうだな。」
やはり歯切れが悪い。しかし、ここはやはり器用そうで不器用な龍馬なのであった。
「昔、だな。そのー、懇意にしていた茶屋があってな。と言っても、武士になりたての頃で先輩達に連れられて、まあ、そこで酒を嗜んでいただけだったのだが・・・。」
眉根を寄せ、言い訳じみた言葉を並べていた龍馬の瞳が一瞬緩んだことに、ゆきは気づいてしまった。
「偶然、初めての斬り合いに遭う前にちょうど、こいつを貰ったんだ。俺の身代わりになる守りにとな。それ以来、何となく手放せず、たまにこうして取り出して眺めている。」
小松からゆきの手に戻されていたそれを取り上げると、龍馬は再び陽にかざし目を細めた。
大砲で撃たれたように大きくて重く深い音が胸の奥で鳴ったような気がした。
胸が重苦しくなり、ゆきは右手で胸元を握りしめる。
「龍馬・・・さん。」
絞り出すように声をかけると、振り返った笑顔はとても優しかった。
「っ・・・。」
とっさに、左手を伸ばし龍馬の手にある帯留めを取った。
そして、そのまま握りしめ、腰を上げて走り出す。
「お、お嬢・・・!」
「ゆきくん!?」
驚いたような2人の声を振り切って、そのまま宿を飛び出した。ゆきの頭の中は真っ白だった。
宿から少し行った河原で腰を下ろす。川沿いの風は涼しく、肌に心地よい。
両足を抱えたまま、手のひらを開き、龍馬から持ち去った飴色の帯留めを眺める。
なぜ、こんなことをしてしまったんだろう。ゆきは項垂れて目をつむった。
歴史には疎いが、島原がどういった場所かは知っている。
龍馬はそこの女性から贈られたということを否定はしなかった。
契りの証・・・などという大げさなものではないにしろ、帯留めを交わすような機会があったということには違いない。
この時代、男女の間で装飾品を交わすということが、どんなことかというのは、ゆきには分からない。だけど、帯留めのその用途と、艶やかであえかな色気を感じる飴色から、何か淫靡なものを感じてしまった。
自分の考えに頭を振る。しかし、一度気になってしまうと頭から離れない。手元に握りしめている帯留めから目が離せない。
瞬時、大きく振りかぶり河原から流れの中へ投げ捨てようと思いつき立ち上がった。
だが、それを思いついた自分の卑屈さに愕然としてゆきは崩れ落ちるようにして再び河原に尻餅をついた。
私は、どうしてしまったんだろう。
「お嬢!」
遠くの方から声がする。見やれば龍馬がこちらに向かってかけてくる。
「お嬢。」
すぐ側にたどり着くと、再びゆきを呼び呼吸を整えるように肩で息をしている。
「はは、探したぞ。突然走って行っちまうもんだから。驚いた。」
ゆきの手元にあるものには触れもせず、にこやかに笑う声と表情は却って卑屈な気持ちを煽る。
「これ・・・。」
ゆきは、自ら手のひらを開き龍馬にそれを示した。
「ああ。すまんな、お嬢。これは結構特別で大事なもんなんだ。返してもらってもいいか?」
「特別・・・。」
脳裏に、これまで龍馬と交わした様々な言葉が甦る。そういえば、初めて出会った時から思わせぶりな事を言って、何か美しいガラスの破片のようなものを見せられたことを思い出す。ああ、あれは。何だったのだろう。
「龍馬さん・・・、特別なものがたくさんあるんですね。」
「え?」
急激に膨れ上がった思いは胸中を支配し、ゆきに冷静な判断を失わせた。
「私以外にも、大事なものはいっぱいあって・・・っ。」
頭の片隅で、それは当然だと繰り返す。しかし、胸が詰まり喉が閉まる。苦しくて、苦しくて息が出来ない。
「私、・・・っ。」
気づいた時には、帯留めは手のひらを離れ宙に舞っていた。ゆきの姿に驚愕したように立ち尽くしていた龍馬が、まるで一時停止から再生ボタンを押したように、慌てて動き出す。
それすら、ゆきには自分以外の特別で大切なものを追いかける様に見えた。
が、その手は舞い上がった帯留めではなく、ゆきの肩にかかり強い力で掴まれて引っ張られた。
気づくと、龍馬の背に庇われるように立っている。
「お嬢、怨霊だ。」
少し、掠れたような声で龍馬が呟く。まったく気づいていなかったゆきが肩越しに見やれば、河原に三体の怨霊の姿が見えた。
「戦えるか?」
龍馬が呼びかける前に、ゆきは、腰のレイビアに手を掛け横に並んでいた。何度も繰り返してきた行為は、酷く醒めたように行動を促す。
そこからは、いつもと同じだった。龍馬が援護し、難なく怨霊を追いつめる。
「お嬢、浄化を!!」
呼びかける声に頷き、向き直れば怨霊が劫火の中で燃えている。ふと、足下で光るものを見た。
あれは・・・。
急速に高ぶりが冷め、次に焦燥が襲った。
「っ・・・!」
怨霊の足下に向かって走り出そうとすると、強い力で腕を引っ張られる。
「何をしてるんだ!」
「りょ、あっ・・・帯留めが!!」
「それは、いい!早く浄化するんだ。」
「だめ、駄目です。龍馬さん!」
離して欲しいと身を捩れば、細い腰を片手で拘束され頭上では銃声が聞こえる。
「早く。浄化してくれ、お嬢。」
ようやく、封印を終えたゆきは呆然と目の前の黒こげた物体を見た。
ついさっきまで艶やかな光を放っていた帯留めは、無惨な姿になって転がっている。
あれほど、ゆきの心を締め付け、苦しめたものだったのに。しかし、龍馬の身の安全を祈り贈られたもので、龍馬自身も大切にしていたものだったのに。
先ほどまでの、卑屈な思いは息を潜め、罪悪感でゆきは泣き崩れた。
「ご、ごめ・・・。ごめんなさい・・・っ龍馬さん・・・。」
意味が無いことだと分かっていても、謝罪の言葉は止まる事無く唇から漏れた。
理由の分からない胸の痛みとは違い、今度ははっきりとゆきにも理解できた。
龍馬と、贈り主の気持ちを考えると胸が痛い。自分のしでかした愚かな行為で人の優しい気持ちを傷つけたことがどうしようもなく、情けなく、悲しくて、胸が痛い。
両手で顔を覆い泣きじゃくるゆきの頭に、ふわりと温もりが落ちた。
「お嬢は優しいんだな。」
およそ今の心境にはふさわしくない言葉が聞こえた。肩の震えが止まる。
「そんな・・・はず、無いです。」
自分でも分からないとは言え、子どもじみた感情の発露をコントロールできず、とんでもないことをしでかしてしまった。
「そうかい?だって、お嬢はあの帯留めと俺の為に泣いてくれてるんだろう。もちろん、自分への責めもあるんだろうが。」
龍馬は、少し首を傾げると額にかかった髪を握りしめる。
「あれはさ、本当にお守りのようなもので。元々は俺のものじゃない。昔良く共に居た先輩が馴染みの娼妓にもらったもんだ。その時も思いは込められていたんだろうけれど、俺自身が譲り受けたときも”身を守ってくれる”ようにと手渡された。」
「その先輩は?」
「さっき、なぜ俺がお嬢より先に怨霊に気づいたと思う?そりゃ、俺の方が冷静だったっていうのもあるが・・・。お嬢が帯留めを投げただろう?そいつに一瞬目をやった時に気づいたんだ。太陽を反射した光のもやの中に、黒いものが見えた。」
ゆきの問いかけには答えず、そのままゆきを河原に座らせると、自身も隣に腰掛ける。
「二人が守ってくれたのかもしれんな。俺と、俺の大切な人を守る為に。あれは十分に役目を果たしてくれた。」
「本当に、ごめんなさい・・・。」
ぽつりとゆきがこぼすと、その顔を眩しそうに眺めながら龍馬が肩に手を回す。
「それにさ、あれだ。お嬢は・・・。」
ゆきが、問いかけるような視線を向けると、少し頬を染めて視線を反らす。
「案外、俺のことが好きなんだな。」
「え?」
「俺に、自分より大切なものがあると思って逃げ出したんだろう?」
「そ、それ・・・は・・・。」
真っ赤になって俯くと、本当に帯留めさまさまだな、と龍馬は笑った。
「さて、帰るか。お嬢が凄い勢いで駆け出して行ったから、皆心配してるぞ。」
すっと立ち上がると、龍馬が左手を差し出した。
常であれば、気づかないか、気づいても取らないその手に、ゆきは手のひらを重ねた。5本の指が絡められ伝わる熱が全身を包む。
「笑ってくれよ、お嬢。」
泣きたいような、嬉しいような、複雑な思いで目の端に涙が浮かんだが、思い切ったように一度口の端を半月のように上げると、勢い良く顔を上げ微笑む。
「はい・・・。」
それは、甘いような苦しいような不思議な感情だった。
(2011-08-07up)