ねぇ、神子さま。
どうして神子さまは、私の弟を選ばれたのです?
他にも、良き殿方はいらしたでしょう。
いいえ、決して神子さまのご選択に否やを申し上げたりはしませんわ。
ただ、身内ですから謙遜してしまうのですよ。何しろ、お側に身分も、お立場も、ずっと上の方々がいらっしゃったわけですからね。
私だって、数ならぬ身ながら宮様の御許へあがった訳ですから。ですから…

「嬉しいのですが、不安なのです」
目の前で茶器を手に親王妃が言った。
「どうして、神子さまは二条家にいらしてくださったのかしら」
「どうして、姉上はそういうことを当人の前で聞くのですか」
例によって、親王妃の護衛も兼ねて傍に侍るリンドウがこめかみを引きつらせた。
「それに、ゆきは二条家にではなくて、僕のところにきたの。間違えないで下さいませんか?」
親王妃が、ふぅ、と溜息をつく。
「こういうところが、昔から変わらないの。困ったことねぇ」
「姉上…」
この姉弟らしいやりとりを、ゆきは微笑みとともに見守っていた。
リンドウの姉姫との会話も大分慣れて、こうして彼を慌てさせる悪戯に、時折加担することもある。
「確かに不思議です。色々と辛く当たられたこともあったのに、そのことは酷いと思わないんです。なぜでしょうか」
「まあ、それは…」
「もしかしたら、師匠と弟子みたいな感覚だったのかもしれません。自分のいたらなさを感じていたから余計に。酷いことを言われてもしょうがないかなって」
「それは違いましょうとも、神子さま」
親王妃が真っ向から否定した。
「それは、余りに苛烈な環境で御心が平静を失っていたのでしょう。おいたわしいことですわ」
ちなみに、小栗…慶喜に話した時には「勘違い甚だしい」と一刀両断された。数々の意地悪にさしたる教訓など含まれていないだろう、とも。
でも、ゆき自身は何となくこの感覚は間違っていないと思っている。
はじめから、リンドウに神子と認められて遇されていたら、途中で道を踏み外していたかもしれない。
「はいはい、どうせ僕など至らぬ公家の末子ですよ。さして力も無いですしね」
「ほら、またその様なことを。従前から申していますが、貴方が至らぬのなら、それは当家や私達にも責があります。ましてや、貴方がお仕えした方々に失礼です」
姉姫にピシャリと言われて、少し不満気ながら弟が口を噤む。
どこか幼い表情に、ついに堪えきれず、ゆきは笑みをもらした。

「君も姉上も、もう少しまともな話題がないの?」
親王妃を見送り、二人で庭へ出るとすぐにリンドウが言う。
「どういう意味ですか」
「僕の話なんてしても仕方が無いという意味」
「でも、義姉上さまとは、殆どリンドウさんの話をしていますよ」
ゆきの発言に、リンドウが溜息をつく。
「何が面白いのかな…」
「面白いというか、話したいだけというか…」
再度、ひときわ大きな溜息をつくと、リンドウがボヤく。
「一体、何を話しているのやら」
怖くて聞けないよ…と、自嘲気味に言い捨てようとした時だった。
「例えば、この前はリンドウさんの初恋のお話を聞きました」
「はあっ?」
想像だにしなかった話題に度肝を抜かれる。
「ちなみに、義姉上様とは良く恋のお話をします。ご存知でしたか?義兄上様が奥様に贈られた御歌の話とか」
「別に聞きたくもない話だよ、そんなの…」
他にもどんな話をしているのか、考えるだに恐ろしい。
「そういう話をどこから仕入れてくるのかな」
「普通に、皆さんとお話している中でですよ。私もリンドウさんのことは何度も聞かれました」
「へぇ…」
「どこで知り合ったのかとか、いつから好きになったのかとか」
「まさか君、真っ正直に答えたりしてないよね」
「答えますよ」
きっぱりと言った顔は微笑んでいた。
「私とリンドウさんの出会いは、すごく劇的で一筋縄ではいかない日々を過ごしましたけれど、出会うのは運命だったんでしょう?物語のようだと皆さんに言われました」
「へぇ…」
「恋渡るお二人だったのでしょうねと聞かれたので、その通りですと答えました」
ここで少しばかりリンドウが眉根を寄せた。
「それはちょっと誇張し過ぎじゃないかな」
自分はともかく、ゆきはつい最近までこの世界の住人ですらなかったのだ。それなのに、ゆきはこの問いに満足気だった。
「そうですか?私はリンドウさんのことを好きだと気付いてからは、毎日すごくドキドキしました。いけないと思っても一緒にいる時は周囲が輝いて見えました」
想像だにしなかった告白にリンドウは言葉を継げない。
こぼれ落ちそうな笑みとともに、ゆきが言った。
「全て終わった後、二人で手を繋いで庭を眺めましたよね。あの時がそれまでで一番幸せでした。ああ、大好きなひとと一緒に居られるって嬉しいな。これから毎日共に居られる。何て素敵なんだろう…」
訳知り顏でうなづきながら彼女が指を口許に添える。
指先は唇に触れそうで触れない。
「今は、リンドウさんが大切にしてくださるから嬉しいばかりだけれど、そのうち苦しい思いもするんでしょうか」
「さあ、どうだろうね」
込み上げる思いを誤魔化すように気のない返事をすれば、ゆきが少しばかり口を尖らせた。
そんな姿を見てリンドウは苦笑した。
取り越し苦労という言葉を彼女は知っているのだろうか。
傍らの少女を見つめて告白する。
「ねぇ、そうやって拗ねて口を尖らせている君が好きだよ」
「もう、リンドウさん。ひどい」
「僕は、拗ねている君も、素直な君も可愛いよ。つれない態度で詰られたとしても、君が大好きだ」
最後は、笑みを交えて言えば、ゆきが腕をぽかりと打ってから赤くなった顔を隠すように額を埋めた。
早速、拗ねたように頬を膨らませて言う。
「嘘つき」
「嘘じゃないよ。それなら、今度の茶会で皆に話してみなよ」
残念ながら、この邸に所縁のものたちなら、一人も違えることなく肯定するだろう。

二条の末の御曹司が神子に全霊を捧げているのを知らぬものはいない。

「もう、恥ずかしいです」
「君がはじめた話でしょ」

先からチラチラと唇を行ったり来たりしている指を捕まえて口付ける。
「さっきから気になって仕方が無いんだ」
不意打ちに頬を赤くしたゆきが問う。
「何が気になるんですか?」
問いには答えず、そのまま手首を掴んで唇を奪う。

「どれくらい、君が僕を好きで、僕が君を好きかっていうこと」

答えの代わりに、もう一度二人、口付けを交わした。

 

コイバナの真相

【終】

(2013-5-3up)

溜め息ばかりが続いていた。

結局、彼女を引き留めることは叶わず。
龍神の神子は、己の世界へと還った。
短い期間ではあったが、片時も離れず側近くに居たから勘違いしてしまっていた。

本当は、一番遠い存在だったのに。

あと少しで全部忘れてしまえるのに、どうしても日常生活に所々残る彼女の痕跡を消し切ることができない。

際たるものは、庭の睡蓮だろう。
今や、散ること無く咲き誇る花を嬉しく思う一方で、やり切れなさも感じるのだから酷い話だ。

そして今夜も。 生活から抜けなくなってしまった、夜の散歩を経て池の前に立ち尽くしていた。

どうしたことだろう。
きちんと上手くやりおおせたのだ。
神子はこの世を救い、僕は神子を気に入ったけれど…彼女を惑わすことなく元の世界に還した。
これ以上の結果はない。

「どうした。入水でも謀るつもりか」

よく通る声が闇に紛れて耳に届く。聞き間違えるはずもない。

「いいえ、一橋公」

神子の尽力の甲斐あり、今や次期将軍の座を確固たるものとした従弟…一橋慶喜が其処にいた。

「こんな時間にどうしたんですか」
「なに、この時間と場所が一番違えることなくお前をつかまえられるのでな」
少し皮肉混じりの言葉に苦笑する。
「御用件は?」
「大した話ではないさ」
言うと、彼は一度言葉を切った。
「上洛する。明後日だ、供をせよ」
「いや、大した話でしょう」
「それはすまなかった」
半ば確信犯だったのだろう。慶喜の口の端が上がっている。
「この花も見納めだな」
「残念に思う?」
「少しは、な。だが、これ程咲き誇っているのだから心配はないだろう」
いつの間にか隣にやってきて、目が合う。
「未練があるのは、お前のように見えるが」
「直球だね」
僕の返答に、慶喜…慶くんが笑う。
「何が、お前を縛るのだろうな。運命は鎖などでは無いと神子が証明しただろうに」
応える言葉が無くて黙っていると、慶くんはそのまま続けた。
「愛情だとて、人を縛るものではない」
「愛情って…」
反論しかけて止める。
今の自分に、彼へ喰ってかかるだけの用意はない。
「…忘れてしまえばいいんだけどね」
自嘲気味に言えば彼が続ける。
「忘れる必要なんてないだろう。過去など一つ消したところで、すぐに次の傷がつく」
言い切る彼に苦笑する。
「君は強いね」
「なに、諦めがよいだけだ。もしくは、その反対だろう」
どっちなの?なんて、言葉をかわすうちに、少しばかり気が楽になった。
「慶くんは、神子殿と少し似ているよ」
「ならば、お前には願ったり叶ったりだろう。黙って着いて来い」
「なんて傲慢な上司だろう」
言った後ひとしきり笑う。
目尻に浮かんだ涙を拭いつつ確認の言葉をついだ。
「えっと、明後日だっけ?」
「ああ」
それだけ言うと、慶くんはもう踵を返していた。
再び苦笑しながら見送れば、思い出したように慶くんが振り返った。
「別に江戸の邸を片付けろとは言っていない。その花も好きにしろ。俺は預かり知らぬことだ」
「うん。分かってる」
妙に気の回る彼のことだ。自分の身辺はさておき、何らか手は打ってくれたのだろうし、僕自身もまだ決めかねていた。
「気が済むまで好きにしろ。神子の記憶はお前を地に縫い止める為だけではなかろう」
「ほんとに。その通りだ…」
ゆっくりとでも着実に、時間は過ぎて行く。
記憶は風化せずとも、思い出に出来る時はくるだろう。

今は少しばかり身に沁みるけれど、幸い孤独を感じる暇は無い。

「京に着いたら、僕は庭に面した部屋にしてよね」
「お前は、自邸があるだろう」

切ないばかりの想いは、いつか遠く記憶の彼方へ。
ただ、その事実だけを刻んで。

 

【終】

(2013-02-21up)

建ち並ぶ店のショーウィンドウから灯りが漏れ歩道を照らす。
通い慣れた通学路と学校のある街の風景とはまったく違う景色の中で一人佇む。
しっかりと巻き付けたマフラーの中にまで時折冷たい風が吹き込んで来て、思わず竦んだ。
本当は、もう少し早い時間に会う筈だった人は、まだ来ない。
ほっと小さなため息をついて、ゆきは左手の時計を覗き込んだ。
さっき確認してから10分も経っていない。
待ち人の訪れはもう少しかかるだろうことは分かっていた。

行きつけない賑やかな街は、冬でも葉を落とさない街路樹が綺麗に植わっていて、その奥には途切れることなく店舗が並んでいる。
そのほとんどが、鮮やかにウィンドウを飾っており、この街独特の雰囲気に加えて、冬の訪れに向けた華やかな色彩が少しばかりゆきを怯ませた。
背中には無機質なデザインの大型商業施設があって、ひっきりなしに人が出入りしている。
その目の前には有名なブランド店があって、何組ものカップルが微笑みながら扉をくぐっていくのが見えた。
そんな季節なのだ。

(そういえば、あちらの世界に居たのもこのくらいの時だった・・・)

すべてを終えたと思っていたあの頃の未熟な自分をあざ笑うように、再び落とされたのは江戸城内で、突然見知らぬ男性に口を塞がれた。

(あの時は、本当にびっくりしたな・・・でも)

あの時、初めに出会ったのが彼であったのは、本当に幸いだったと。
それだけは、心に誓って言える。

待ち人はまだ来ない。

「寒い・・・」

思わず呟くと、手袋をした手をすり合わせる。
携帯電話もあるのだし、建物の中に入ってウィンドウショッピングでもしていようか。
何度か頭を過ったのだが、あまり気乗りしない。
この街並とそれに付随する様々なもの全部、彼が来たら一緒に見て歩きたい。
手をつないで、ただそれだけのことが何よりも楽しみで。

江戸に居た時は、今よりもずっと一緒に居られる時間は多かったけれど、やはり少しばかり現実離れしたことがありすぎた。
相変わらず立場は違えども、今はもう少し等身大の、誰もが知る幸せを二人で分かち合えるのが嬉しい。

歩道は洒落た石畳に覆われていて、足早に行く人々の足音が響く。
女性の華奢なヒールの音に、男性の革靴が鳴らす音。

待ち人はもう来るだろうか。

段々と増えて行く人々が道から溢れ出そうだ。
ふと、ゆきの目の前を行くカップル同士がすれ違いざま、軽く肩を触れ合わせた。
向かってくる側の女性のまとったストールが、ふわりとこちらに向かって道へと舞い落ちる。
「あ・・・」
とっさに、ゆきはストールを拾おうと屈んだ。
その後ろから、柔い温もりが背を覆う。
拾おうとしたストールは、背後から出て来た手に拾われて、そのまま立ち上がると目の前のカップルに手渡された。
共に立ち上がったゆきの左肩には、やはり手が置かれている。

「どうぞ」

目の前のカップルが、二人とも少し紅潮していたのは寒さのせいだけだろうか。
ゆきが目線を後ろにやると案の定、良く知った温もりの持ち主が緩く微笑んでいた。

「リンドウさん」
「遅くなってごめん、ゆき」

シックな色合いのコートを纏った男性がひとり。

「お仕事、無事に終わりましたか?」
「うん、何とか。ほんとにごめんね」

肩に置かれた手に引き寄せられる。

「リンドウさん、遅いです」
「ごめん」

軽く抱きしめられた後、温もりが離れて大きな手のひらが手袋越しにゆきの手を包む。
「あ・・・」
「どうしたの?」
そのまま、ゆきの手を引いて行こうとするリンドウを呼び止める。
「ちょっと待ってください」
繋いだ手をほどいて、手袋を外してから再び手を繋ぎ直す。
「ゆき、手が冷える」
心配そうに眉根を寄せるリンドウに、微笑みとともに言い返した。
「それならリンドウさんだって」
「僕はいいんだよ」
「私もいいんです。リンドウさんの手のひら温かいですから」
それに・・・と、付け加える。
「手袋越しじゃなくて、ちゃんと手をつないで二人で歩くのがいいんです」

はじめて手をつないだ、あの冬から。
春・夏・秋と過ぎて、また冬が来た。

人波に乗って歩道を歩く。
そのうち、ショーウィンドウの愛らしいオーナメントで飾られたクリスマスツリーに引かれて足を止める。
「あの、このお店に入ってもいいですか?」
「もちろん。どうぞ、お姫さま」
言ったリンドウの手を離して扉に向かうつもりが、その手が離れない。
「!?」
そぅっと手の先を伺うと、悪戯っ子のように笑みを漏らす彼の姿があった。
「えーっと、手を・・・」
「だめ。こんなに冷えてる君の手を離すなんて僕には出来ないよ」
「私は大丈夫ですよ」
「じゃあ、僕が大丈夫じゃないから駄目」
「・・・」
懲りない小さな意地悪にちょっと口を尖らせて見つめると、リンドウが堪え切れず忍び笑いを漏らした。
「はいはい。ごめんね、行っておいで」
「リンドウさんも一緒に行くんです!」
「えぇっ?」
女性好きのしそうな可愛らしい装飾に彩られた店内へ、繋いだ手はそのままに入店する。

『いらっしゃいませ』

店員達の微笑ましげな視線を受けて、リンドウは若干居たたまれない風に店員達へ笑みを向けた。
「今日の君には逆らえないな」
「そうですよ。私、いっぱいリンドウさんのこと待ちましたから。ちゃんと付き合ってください」
「仰せのままに、お姫さま」
商品の並ぶ棚を見つめるゆきの隣にリンドウは立つと、繋いだままの手に力を込めた。
「ほんとに待たせてごめんね、ゆき。待っててくれてありがとう」
「はい」
「今日はずっと手をつないだままでいようね」
「はい・・・、え?」
「この後、食事に行く時も手をつないだまま。もちろん、地下鉄に乗る時も手をつないだまま」
「そんな!リンドウさん!?」
思わず声高に名を呼ぶと、漏れ聞こえていたのだろう。
周囲から、微笑ましいやり取りに忍び笑いが聞こえる。
「もう・・・恥ずかしい」
ちょっと油断するとこれだ。
いつも、いつも。リンドウはこうやってゆきを困らせる。
「さて、早速行こうか?」
ゆきが手にしていた小さなツリーを棚に戻させると、再びリンドウが手を引く。
「あの、リンドウさん。私、さっきのツリーを買いたいんですが」
「ここにあるよ、行こうか」

いつの間に。
リンドウの手には小さなショップバッグがかかっていて、店員の『ありがとうございました』の声に送られ店の外に出る。
「手、本当に離さないんですか?」
「君も懲りないね。僕が離さないって言ったら離さないのは知ってるはずだよね?」

こうやって、変わったようで変わらない1年を二人で過ごす。
この先もずっと、そうして行けたらいい。

ふと、空を見上げれば澄み切った空に星が瞬いていた。
「あ、オリオン座」
「こんな都会の街中でも、星が見えるものなんだね」

澄み切った冬空は、やはり変わったようで変わらない。
あの世界も、この世界も。

「次は、あのお店を見に行きたいです」
「承知しました」

雑踏の中、繋いだ手は離さないまま。
とある冬の一日が過ぎて行く。

 

【終】

(2012-11-25up)

何年ぶりだろうか。

無茶を重ねてもよく保っていたはずの身体が、ついに反旗を翻したらしい。
どうもこれは風邪だろう。
最近は幕府の仕事と龍神の神子のお伴と二足のわらじを履いていた。
正確には、御奉行のお伴というのも仕事のひとつか。
しかし、多分原因は仕事量でも内容の苛烈さでもなく、単に心労が自分を弱くしているらしい。
邸の自室で臥せっている自分を他人事の様に分析する。

朝、いつものように自邸に集う龍神の神子一行に、同行出来ない事を告げた。
皆一様に、仕方が無いなぁと言うと簡易な見舞いの言葉を残して日課の怨霊退治に出て行った。
ただひとり、龍神の神子だけはどこか落ち着かないように目を揺らしていたが、そのうち「安静にしていてくださいね」などと、まるで医師の助手のようなことを告げて出て行ったのだった。

彼女達が活動し始めてしばらく経ち、江戸でも随分と評判が広がった。実質、自分が居なくても妙な厄介ごとでも起こさない限りは困る事など特には無いだろう。
ふとこみ上げるものに咳き込む。
思いのほか、体調は悪いらしい。

このことを知るのは、上司たる御奉行と龍神の神子一行だけだ。
目付という職業や自身の立場から、病を得ただとか、こういった事は外に漏らす事は無い。
今回は、神子一行に知られている分、随分と知れ渡ってしまった方だ。

(ほんと、嫌になる・・・)

情けないが、龍神の神子が自身の心労に大きく関わっているだろうことは明白で、恨み言のひとつも言いたくなった。
怒りを抑えようと目を瞑って深呼吸を繰り返す。束の間の暗闇に、知らぬうち意識を引き取られていったようだった。

冷たい・・・。

次に目が覚めた時に感じたのは、額の上にある冷たい手拭いと、誰かの視線。
目線を上げると、傍らに龍神の神子が佇んでいた。

「君、なんでここに居るの?」

知らず、問う声が冷たくなる。

「あの、リンドウさん体調が悪いみたいだったので看病しようと思って」
「そんなこと君がする必要ない。怨霊の浄化はどうしたの」
「今日は、終わりです。本当ですよ、都が今日はもう気配を感じないって」

最初は、詰問するような口調に動揺したりもしていたようだけど、最近では慣れた様に返してくる。
思わずため息をついた。

「ここには誰も入れないように言ってたのに。主の言いつけすら守れないのか」
家人たちを思い浮かべて悪態をつくと、神子殿が困った様に言った。
「ごめんなさい。私が黙って入ってしまったんです」
「ああそう。随分と良い躾を受けているみたいだね」
「・・・ごめんなさい」
眉根を寄せて、謝罪する神子殿を見上げると、靄のかかりつつある頭を振って問いかけた。
「それで、何の用?僕に用事があるんでしょ。それとも・・・」
少し口の端を上げて言う。
「この機に、何か取引きでもしたいの?僕にも出来る事と出来ない事があるし・・・」
言葉を続ける病人をよそに、神子殿の手が伸びてくる。
一瞬、身がこわばった。

何も出来る筈が無い。何も・・・。

その手は、額に置かれた手ぬぐいをとると、傍らの桶に沈めた。
何も無かった。何も・・・。

詰めていた息を吸い込むと、また咳き込んでしまう。
慌てた様に、神子殿が押しとどめるように上掛けに手をやった。

「リンドウさん、あんまり喋っちゃだめです。寝ていてください」
咳が止まらないのを見て、神子殿が言う。
「あの、お水を」
「大丈夫、後で持ってこさせるから」

今更、何を疑うのだろう。この神子に裏も表もないことは嫌になるほど承知しているのに。
それでも、浴びせ続けられた辛辣な言葉の数々に、彼女なりに気付いたところがあったのだろう。
少し悲しげに微笑むと、手を引いて目を伏せた。

「ひとつだけお願いがあります」

目を伏せた神子殿は、きちんと両手を膝の上に置いて言葉を継いだ。
分かっていたことだったのに、少しの落胆が胸を苛む。
やはり、彼女も同じなのだ。
打算の無い親切などあり得ない。
だからと言って、訳無き善意も気味が悪いが。

「なに?言ってみて」

「今日は一日、ちゃんと寝ていてくださいね。明日には治るように」

なるほど。殊勝な言葉は、これまでにもかけられたことはある。
真実はともあれ。

「そうだね。なるべく意に添えるようにするよ」
「お願いします。リンドウさんが居ないと、色々と困るので」
「そうかもね。善処する」

答える僕を見て、神子殿は少し考える様に目を瞬いた後、再び言葉を継いだ。

「あの、これは私のわがままなので。ごめんなさい」
「君に謝られるような心当たりがないけれど」
「その・・・」

見上げた目と目があった。

「リンドウさんが隣に居てくださらないと少し不安で。風邪で辛いのはリンドウさんなのに。ごめんなさい」

言うに事欠いて。

「どうして?僕が居なくても八葉がいるでしょう」
「そうなんですけれど。私も、よく分からないんですが・・・」

思わず、俯いた目の前の神子殿に手を伸ばす。
頬に触れると、己の手が熱いせいか、ひんやりと感じられた。

「それで、君自ら看病に来てくれたの?」
「・・・はい」

こんなのは初めてだ。
こんな行為は知らない。好意もだ。

「それなら、もう少しつきあってくれる?」
「で、でも。そろそろリンドウさん、寝てください」

熱で朦朧としているからだろうか。冷たい頬を撫でた。
びくりと、神子殿が肩を震わせる。

『旦那様、お加減いかがでしょうか』

機を図った様に、襖の向こうから女中の声がした。

「冗談だよ。女中も来たし君は下がって。風邪がうつったら大変だ」

目の前の神子殿はまだ瞳を揺らしていたが、こくりと頷くと立ちあがった。
微笑んでやると、彼女も微笑む。

「それじゃあ、ちゃんと寝てくださいね」
「分かったよ。神子殿」

女中と入れ替わりに出て行く彼女を見送ると、再び床に身体を沈ませる。

「水、持ってきてくれる?」
「はい、かしこまりました」

誰も居なくなった部屋は静寂に包まれた。
その中で、やけに心臓の音が響く。

あんなこと言われるとは思わなかった。
神子殿の言葉が理解できない。

僕は知らない。
こんなのは知らない。

だけど、早く直して明日は彼女に付き添ってやろうと、ただそれだけは心に誓った。

 

【終】

(2012-08-5up)

鮮やかなリボンのかかった箱を前にして、リンドウは椅子の背にもたれかかっていた。
箱の中身はヒールのラインが美しい淡い色合いの靴だ。
勿論、ゆきへの贈り物である。
他の誰に指摘されるまでもなく、自身がゆきに対して過剰な愛情を持って接していることは自覚している。
例えば、それは贈り物の数だったり、品目だったりからも伺えるだろう。

とかく、ゆきを愛でて持て囃したいのだ。
そういう欲求がある。
だから、彼女を懐柔するための手段としてではなく、彼女に贈り物をすること自体がリンドウの欲求であり、結果なのである。
そして、その贈り物によって、ゆきがさらに心身磨かれて美しくなっていく様を見るのが幸せだった。

(完っ全に、お貴族さま的趣味全開だよね……)

今も昔も。
そういうことが出来る環境にあったから、行為自体には違和は感じない。
おかげさまで、ゆきの世界でもそれなりの甲斐性はあって、彼女の為の贈り物に困ることはない。
ゆきは、合間を置かず差し出されるそれに困惑していたが、リンドウの尺度からしたら、今の状況はかなり控えめと言ってよいだろう。
むしろ、異世界にいたら今よりずっと地位も財も懐にあった。
今とは比にならぬことになっていたに違いない。

当然、正装になる衣は最上のものを用意しただろうし、普段着も四季折々で取り揃えるだろう。
櫛も、簪も、鏡台、文机、筆記具に至るまで。
最良のものを見繕い与えたい。

慶喜などが聞けば眉を顰めるだろうが、知ったことではない。
自分は武家の大将ではないのだ。
だからといって、地方大名の豪奢な支度とも違う。
品良く上質なものは当然のこととして囲ってしまいたい。
だから、今日も贈り物を手に和やかに差し出す。
訪ねてきた彼女に、やんわりと、しかし有無を言わさずお強請りする。
「ゆき、足を出して」
「だから、それは頂けません」
「どうして?君にぴったりの大きさで作ったのに。君にしか履けないんだよ?」
細い足首をとって引き寄せる。
手ずから履かせれば、足首からヒールまでの華奢なラインがぴたりと馴染んで麗しい。
そのまま左手を膝裏に入れ持ち上げ、右手はつま先を掴み恭しく己の胸元まで掲げる。
彼女が静止するのを黙殺して、足の甲に口付けた。
「やっぱり、とても似合ってる」
目を細めて見上げれば、頬を染めたゆきが複雑な感情をその顔に浮かべていた。
「あの、私本当に……」
「君の感覚では受け容れられないのかもしれない。良心が咎める?」
彼女が思っていそうなことを口にすると、ゆきが目を何度か瞬く。無言の同意だろう。
「なら、そんな感情は捨てて。いらないことだよ」
わざと、強い口調で断言する。
「僕がしたいことを、出来るからやってる。贈り物を拒否するのは君の自由だけれど、贈る事を辞めさせるのは出来ないよ。それは、僕の自由だから」
「リンドウさん……」
「気に入らないならそう言っていいんだよ。違うものを探すから」
彼女が拒否出来ないのを知っていて、わざと念を押す。
「僕は君が好きで、君も僕を好き。気持ちは大切だけれど、気持ち以外にも僕は君に沢山のことやものを贈りたい」
望むものも、望まないものも。僕の手にし得るすべてを君に捧げたい。
「リンドウさん、私……」
困惑した表情を隠せないまま、ゆきが言う。
「贈り物は嬉しい、です。だけど、私その…どうしたらいいのか」
「ありがとうって、笑顔で言ってくれたらそれでいいのに」
じわじわと追いつめる。
その細くて折れそうな脚を、男の手に捕われたまま彼女はうっすらと微笑んで言った。
「あの、”ありがとう”ございます」
「うん」
彼女は、真っ白で綺麗すぎる。
神子を辞めてからも平かな考えを捨てない。
そんなのは、ずるいじゃないか。
もっと、傲慢な程強く求めて欲しいのに。

早く、早く本当に僕のところに。
この手元に、墜ちてくればいいのに。
「君が好きだよ」

【終】

(2012-07-21up)

呑み込まれそうなほど深い藍色を見つめる君の隣で、満天の空の下、願い事をしよう。
夜空に輝くありたっけの星をかき集めて願うから、どうか受け取って欲しい。
僕の想い全部。

「リンドウさん、明日は七夕です。一緒に笹を飾りませんか?」
いつものように、週末リンドウを訪ねてきたゆきは手に葉笹を携えていた。
「何かと思えば。君の世界でも七夕の儀式があるんだ」
出迎えた玄関で葉笹を受け取ると、靴を脱いだゆきを室内に導きながら告げる。
「七夕の儀式……ですか?」
「違うの?江戸では庶民が手習いの願掛けをしていたし、幕府も節句の儀式を執り行っていたよ。京では……当然、宮中儀式だからね」
御所での儀式が終わっても、各家で夜通し星の下で歌を詠み宴会を催す。
正直なところ、苦労した思い出の方が多くて思わず顔をしかめた。

「そうなんですか。こちらの世界はちょっと違うかな」
「へぇ」
「飾り付けをしたら、短冊に願い事を書くんです」
言いながら、ゆきは鞄から色とりどりの色紙を取り出す。
「字が上手くなりますように~とか、針の縫い目が揃いますようにとか、そんな話?」
「いえ、何でも良いんです」
随分と、こちらの神は気前が良いらしい。
とりあえずお茶を淹れて部屋に戻れば、早くもゆきは色紙を前に悪戦苦闘していた。
奮闘するゆきを微笑ましく見ながら、傍に置かれた教本を手に取る。そして、そこに書かれた数々の作製に取り掛かる。
どれも、色紙を切り貼りした子供騙しのような装飾だ。
しかし、段々と組みあがっていくそれらを見ているのは中々に楽しい。
少しして、視線を感じた。
手元から視線を上げれば、ゆきがじっとこちらを見つめている。
「どうしたの、ゆき」
彼女の手元には、折かけの色紙があった。何度か折り誤ったのだろう。いくつもの折り目が走っている。
「かしてごらん」
教本を片手に、目当ての飾りを折りあげた。
「はい、できた」
ゆきは、飾りを受け取ると少し困ったような顔で見つめてきた。
「リンドウさんって、器用ですよね」
「そう?まあ、紙を折るのは得意かもね。陰陽師だし」
少しふざけてそう返せば、ゆきはまだ困ったように眉根を寄せている。
「私、お母さんに言われたんです。リンドウさんは、礼儀作法も良くできて生け花も得意。箏も嗜んだことがあると言っていたし、貴女、ひとつでも彼と並べるものがあるの?」
彼女の母親の口調を真似て、ゆきが言う。
「折り紙ひとつとっても、リンドウさんの方が上手なんだもの…」
ちょっと拗ねた風に言う姿があまりに可愛らしいから、思わず笑ってしまった。
「あ、笑うなんてひどいです」
「だって、そんなことで拗ねてるんだもの。おかしくて」
「もう、結構真剣なんですから!」
頬をふくらませる彼女に、微笑みながら意地悪を言ってみる。
「ほら、短冊。江戸ではこういう事をお願いするんだよ。折り紙が上手に折れますように」
「もうっ、意地悪!!」
「知ってるくせに」
言いながら立ち上がり、傍らの葉笹に飾りを結びつける。
「さてと、これはベランダに置くとして……」
テーブルの前で拗ねているゆきを振り返り、首を傾けて問いかけた。
「明日は七夕で休日。笹はここにある。僕の部屋は君の部屋よりは高いところにあるし、星も良く見えると思うよ」
手を差し伸べながらねだる。
「織り姫様はどうするの?君を待ちわびていた僕を置いて家へ帰ってしまうのかな」
「遠回し過ぎて良くわからないです」
まだ拗ねているのか、ゆきにしては意地悪い返答だ。
「じゃあ、はっきり言うよ。ゆき、一緒にここで星を見てお願いしてくれる?」
手をとって立ち上がった少女の細い腰を抱く。
「何をですか」
「ずっと君と一緒にいられるように。ゆきが僕を好きでいてくれるように」
頬を染めて胸のひとつも叩かれるかと思いきや、存外真剣な眼差しでゆきは言った。
「それなら、私はリンドウさんと一緒にいられるように。好きでいてくれるようにお願いします」
自分が何度も口にするから、彼女も不安を取り除こうとするように紡いでくれる。
抱きしめる腕に力を込めると、その腕にゆきが手のひらを重ねた。
「僕が君を嫌いになるなんて、万にひとつもあり得ないよ」
「それなら、私も同じです」
間もなく夜を迎える空を見上げた。
「明日は晴れるそうですよ」
「じゃあ、沢山の星が見えるね。ありったけの星にお願いすることにするよ」
「一晩中かかっても時間が足りないかも」
「いいよ。一晩でも二晩でも」
「それじゃあ、七夕は終わっちゃいます」
微笑む彼女の額にキスをした。
「おなか空いたなぁ」
「ご飯つくりますね」
腕の中からするりと抜け出しキッチンに立つゆきをカウンター越しに見つめる。
「僕、炊事は出来ないんだよね」
「ふふっ、じゃあこれは私の役目ですね」
言外に想いを込める。
僕には、君に優るものなど有りはしないのだから。
「やっぱり、僕には君が必要だなぁ」
「リンドウさん、手先は器用だけど時々不器用ですよね」
「僕は、君が好きだよ」
「知ってます」

願うのはひとつだけ。
夜空を飾る星の数よりもっともっと数え切れないくらいの想いを、君に。

 

【終】

(2012-07-10up)

「君、会うたびに綺麗になるね。」
「えっと、今朝会ったばかりですよ?」
「うん。その間に綺麗になった。」

辛い道のりと燭龍との凄絶な闘いを終えて、現代に戻るまでの束の間。
リンドウに請われ、またお世話になった沢山の人たちにお礼を言いたいと考えたゆきは、間もなく春を迎える江戸に滞在していた。

ちなみに、今居るのはリンドウの邸の一室で、目の前には見慣れた八葉二人の顔がある。
「なぁーんか調子が狂うなぁ…。お嬢が綺麗なのは紛れもない事実だが…。」
「お目付けが気色悪い声を出しているからでしょ。」
半ば呆れかえった表情で、薩摩藩家老の小松帯刀が隣で頭を掻く坂本龍馬に言った。

ゆきは、江戸幕府奉行職を賜る小栗忠慶…実際は、次期将軍の呼び声高い一橋慶喜その人だったのだが…から、リンドウを通じて現代へ還ることを命じられている。
しかし、実は目付というだけでなく、それなりの身分にあったリンドウをも連れ帰ることになったこともあり、身辺整理に時間がかかることは承知されており、暗黙の了解のような形でふた月程の時が経過していた。
ゆき自身の挨拶回りは終了し、あとはリンドウを待つばかりなのだが、さすがに簡単には片付かない。忙しくしているところにべったりと貼り付いていくことも(本人の意向は別として)実際には難しく、たまに八葉の面々が訪ねてくるのを幸いに、同行して市中を散策したり、邸で談笑するのがゆきの日常になりつつあった。
特に、藩の要職にあり江戸に邸を構える小松と、足取り軽く全国を飛び回る龍馬と顔を合わせることが多い。
今日も今日とて、訪ねてきた二人を部屋に通したところまでは同じだが、違うのはリンドウが同席していることだった。

はじめ、ゆきを神子として認める気はまったく無かったらしいリンドウは、それは辛辣な言葉と態度で彼女を責め立てた。しかし、徐々に口調はともかく態度が軟化していったあげくに、突如として砂糖を振り掛けたように甘くなったことを、八葉としてほぼ毎日同行していた二人は知っている。
しかしどうだ。今や、水あめを絡めた練り菓子か何かのように甘ったるい。
ゆきと二人が話している間も、ずっと隣で彼女の髪を弄んでいる。その眼はひどく優しく、口元に微笑みが浮かぶ。一瞬、どこぞの情報屋の影がデジャヴした。
「ああ、いかん。ここまで来ると目の毒だ…。」
ついに、龍馬が額を抑えて苦虫をかみしめたような声でうめく。それを頃合いと見たか、小松もため息を吐くと切り出した。
「お目付けも戻られたことだし、私たちは退散しようか。野暮は信条に反するしね。」
「えっと…。」
「うんうん。それじゃね。二人とも仕事がんばってね。」
慌てるゆきに対して、リンドウは満足気ですらある。
「あの、ごめんなさい。また、来てくださいね。」
「私もそれほど暇では無いのだけど。まあ、機会があれば。」
「俺もまた、江戸に来たときにはな。元気でな、お嬢。」

申し訳ないと思いつつ二人を見送りリンドウの待つ部屋に戻れば、そんなゆきの心情を知ってか知らずか、満面の笑みが待ち構えていた。
「はぁ~。やっと二人になれた。」
「もう、何でそういうこと言うんですか。」
「何でって。僕、ゆきと二人になりたかったから。」
臆面もなく言い放つものだから、ゆきもそれ以上言えなくなってしまう。
だから、代わりにちょっと頬を膨らませてぷいと顔をそらしてやる。
「ねえねえ、こっち向いてよ。」
「…。」
「ねえ、ゆき。」
しばらく無視を決め込んだが、リンドウは何度も何度も名を呼んでくる。一定の距離を保ったまま、そのうち声がしゅんとしてくるのがわかる。
「ゆき…。返事して?」
言って、着物の裾を掴まれれば、いつも根負けするのはゆきの方。
「もう…。何ですか?リンドウさん。」
ちらと見れば、また満面の笑み。
「庭に梅の花がきれいに咲いたんだ。一緒に見に行こう。お茶とお菓子を持って行ってしばらくゆっくりしたいな。」
あまりに邪気なく言われれば、これ以上意地もはり続けられない。
「わかりました。お花、見に行きましょうか。」
ゆきが笑って答えれば、それは嬉しそうにリンドウは手を取った。

こんな具合に、いっそ過剰とも思えるほどの「大好き」オーラに圧倒されながらの毎日で、これ以上の愛情を向けられたら自分はどうなってしまうのだろうと思わないこともない。
しかし、不思議とボロボロにされてしまうとは思わなかった。
「ねえ、リンドウさん。」
「なぁに、ゆき。」
「その…、私が神子を辞めてからずっと凄く優しいから。あんまり甘やかさないでくださいね。」
「なんで?」
「なんでって…。」
ボロボロにされるとは思わなかったが、惜しみない愛情の中で溺れてしまいそうだと思うことはあった。そして、それに慣れきってしまうのは良くないことだとも。
「僕は、君と出会うために生まれて、だけど別れなきゃいけない運命を背負って生きてきた。君のことを好きになったらいけないし、出来ることなら君に嫌われたいと思ってた。だけど、ゆきのおかげでこうして一緒に居られることになったんだもの。無いと思っていた分も全部、一生分ゆきを愛するよ。」
「また、そういうこと言う…。」
「ダメ?」
そう言って顔を覗き込まれたら、ゆきの負けだ。そもそも「ダメ?」と聞くのは反則。そんな聞き方をされたら、
「ダメじゃないです…。」
としか、答えられない。
「それなら、いっぱい甘やかされて。ゆきが油断したところで時々いじわるするかもしれないけど。」
「え、そんな!」
「ゆき、好きだよ。」
「…もう。」
庭の東屋で、隣に座るリンドウの左肩に頭を預ける。腕が伸びて優しくその頭を撫でた。
「今でも、時折思い出すよ。睡蓮の池の前で泣いていた横顔。君を失う運命なんて到底受け容れられるわけがない。例え、その道筋が儚い春の夜の夢のような道のりだとしても。」
「リンドウさんは、私を失ったりしませんよ。今だってほら、大丈夫だったじゃないですか。」
「うん。」
リンドウの手が、ゆっくりと頭を撫でた。
「運命を切り開く白龍の神子殿は、確かに春を招く天女だったよ。決して進むことを諦めない。無い運命は自分で切り開き生み出した。」
どんな形であれ、懸命に咲こうとするものを手折ることを厭う彼女だから。
すべてを咲き誇らせる為に、どんなに険しい道のりでも、冬の吹雪の如く冷たい世評にも耐えて咲かせた大輪の花。
ふと、ゆきが、小さいながら見事な枝ぶりで花を咲かせる梅に手を伸ばす。
「本当に綺麗です。お花いい香り。」
「もう少ししたら、沢山の花が咲くよ。春がやってくる。」
「私、春が好きです。冬の間、じっと力を蓄えて待ち続けてやってくる季節だから。」
「そう。」
「でも、リンドウさんと過ごしたから、今年は冬も好きです。」
「これからは、一年中毎日一緒に過ごそう。すべての四季が大好きになるようにね。」
「ふふ。大変ですね。」

愛し愛され過ごす毎日は、常春の天国。
少しばかり、甘くなってしまうのは、どうか許して欲しい。

 

【終】

(2012-05-06up)

クロスを敷かれたテーブルを挟んで、向側に座っているのは誰だったかしら?

ふと、そんなことを考えた。

広大な公園の中にある天井と壁の大半がガラス張りのティールームはゆったりと開放感のある空間で、存分に射し込む陽光は、まばらに置かれた観葉植物の葉をきらきらと光らせる。テーブル上でほんのりと汗をかくガラスの水差しの中は、まるで星屑を詰め込んだように大小の輝きで満たされていた。

向かいの人物は、スッと伸びた脚を組み、手にした本を繰っている。指はほっそりと長く器用そうに見える。細い黒縁の眼鏡越しに見える瞳は長い睫毛が縁取っていた。
第二ボタンまで緩めたシャツに紺のジャケットが良く似合って居る。
少し見える鎖骨がいやらしくなることなく清潔感を保っているのは、育ちの良さが見てとれる姿勢とか、どこか洗練された所作のせいかもしれない。

「何かずるいです。」
思わずこぼれ出た言葉を、眼前のその人は少しの間考えたあと、繰っている本を閉じてから引き取った。
「急にどうしたの、ゆき。」
「分かりません。でも、リンドウさんはずるいです。」
素直なまま、よく推敲せずに言葉を返す。すると、大した話ではないと判断したのか、リンドウは再び本を繰り出した。
「君、今頃気づいたの?」
「真面目に聞いてください。」
「はいはい、聞いているよ。」
「もう、ほんとに聞いていますか?」
思わず前のめりになれば、何時の間にか伸ばされていた手のひらが頬を撫でた。
「珍しく、感情的だね。そういうの嫌いじゃないけれど、理解はしかねるね。ちゃんと説明してくれる?聞いているから。」
また子ども扱いして、と思ったが、ゆきは、それをぐっと呑み込んだ。
「このお店には、瞬兄と来たことがあるんです。」
「へぇ。」
「そのもっと前には、お母さんと来て。」
「そう。」
目の前のリンドウは、相槌を打ちながらも目線は本に落としたままだ。
「お母さんと来たときは感じなかったんですけど、瞬兄と来た時には少し違和感があって。瞬兄は落ち着いていたけど、私は中学生だったし、周りは大人ばかりで。何か浮いているみたいで。」
話しているうちに懐かしい情景が浮かんで来て、ついリンドウの様子を顧みることなく話し続けてしまう。
「それで、その時の瞬兄も本を読んでいたんですけど、突然パタンって本を閉じて、ゆき、出ましょうかって…」

パタンっ

と、音が会話にシンクロした。
意識を引き戻されたゆきは、話しながら胸元で合わせていた手をテーブルに置き、目線をリンドウに向ける。
本を閉じたリンドウが、じっと自分を見つめていた。
「それで、神子殿は僕に何をご所望かな?全然分からないんだけど。」
「えっと…。」
「僕からすると、君の方がずっとずるいよ。」
それだけ言うと、リンドウが席を立った。

「ゆき、出よう?」

二人無言で歩く公園は、まるで音も色彩も失ってしまったようだった。
常なら塞がっているはずの手のひらは、肩にかけたバッグの肩紐を握りしめていて、前を歩く人を追いかける。
「リンドウさん、待って!」
何でこんな事になっているのか、考えたいけれども今はそれどころではない。
決して見失う程ではないけれど、ゆきが普通に歩いたのでは追い付かない歩調で、リンドウの背は先を進んで行く。

『僕からすると、君の方がずっとずるいよ。』

何でこんな話になったんだろう?
いつもなら、困らせるようなことを言うのはリンドウの方で、それでも、本当はちゃんと分かっていて最後はゆきに冗談だよと言って安心させてくれる。
そうなのだ。どこか子供のようで捉えどころの無いリンドウを伴って現代へ還ってきて、ゆきは、彼をなるだけ不安にさせまいと心に決めていた。どんなことがあっても、自分がリンドウを守らなければと、神子でなくなっても使命感のようなものを心に秘めていた。
しかし、龍神の助けもあってか、思いのほか早くリンドウは現代に馴染んだ。江戸にいた時は、過酷な日々で顕在化していなかったのか、ゆきが気づいていなかっただけなのか。
恐らくは元々持ち合わせていたのだろう彼の洗練された所作や、ソツの無い立ち居振る舞いは、この世界にあっても非常に彼を有能に見せたし、特別に生まれ育った者の持つ、生来のものだろう華は周囲を惹きつけた。
まるで、ゆきの知らないどこか遠くの人のように、しがない女子高生の手が届くような人ではないような、そんな風に思う事が多くなった。
今日だってそうだ。医師としての社会的地位を持つ両親に伴われてこそ、ゆきとて、それなりの場所や店へ赴くこともある。ただそれは、両親あってのことで、普段のゆきはただの女子高生に過ぎない。
いつも冷静でソツの無い瞬兄とてそれは同じだ。ゆきが、たまの日本と頑張ったテストのご褒美に、まだ学生の瞬にねだって訪れた思い出のティールーム。どこか落ち着かない気分で瞬兄を見れば、彼も同じだったのだろう。早々に店を出ようと決まりが悪そうに言ったのだ。
だけど、リンドウは違った。散歩の途中にゆきがねだると、特段躊躇うことなく足を運んでくれた。少しどきどきしながらお茶をサーブされている自分の横で、のんびりと本をめくっている。その姿は、とても場に馴染んでいて、落ち着いた大人の男性に見えた。
私が守ろうなんて、そんな必要はまったく無いんじゃないかしら。それどころか、この人とお茶を飲んでいる自分は周囲からどんな風に見えているのだろう。私は、彼のなんだったっけ?
どんどん先に行ってしまう、知らない男の人になってしまう。
『リンドウさんは、ずるいです。』
それで零した言葉だった。

思考を一瞬奪われているうちに、前を行っていたはずのリンドウの姿が見当たらなくなっていた。いよいよ不安が募る。
(どうしよう、どうしよう…。)
足の運びを速める。焦燥感は次第に胸を支配して息が詰まりそうになった。履きなれないパンプスが脱げそうになって足をすり気味に走ると、今度は道の隆起に足を引っ掛けてつんのめる。
喉まで上がってきた嗚咽を呑み込んで走る。どこに行ってしまったのだろう。
一本道を抜けたT字路、池を囲む芝生の上に座り込むリンドウを見つけたのは、ゆきの息も上がった頃だった。ほんのわずか、息を整えると芝生へ足を踏み入れた。
「リンドウさん…。」
恐る恐る声をかけると、返事は無いまま、こちらを振り向いた。謝らなければと、ゆきが口を開く一寸前にポツリと穏やかな声が聞こえた。
「ごめんね。」
「え…?」
「ごめんね、ゆき。」
思いもよらない言葉に、どう応えたら良いか分からない。
「なんで、リンドウさん…。」
ぱちりと合った目線は、逸らされることなくゆきを見つめている。どことなく縋るような目線に促されて距離をつめた。そのまま、隣に座りこむ。
「ゆきは、僕じゃ駄目?僕はどうしたらいい?」
「そんな。」
なんで、そんなことを言うの?喉まで出掛かったが、あまりのショックで言葉が出ない。
「僕は、ゆきが居ればどこでどんな暮らしをしたって構わないんだよ。だけど、君について君の世界に来たからには、君や君の周囲の人たちに恥ずかしくないようにしなきゃって、僕にしては珍しく努力したと思うんだ。」
芝生についた手のひらの小指と小指が一瞬触れた。いつもなら重ねられるはずの手のひらは怯えるように遠ざかる。
「おかげで、君のご両親にも嫌われては居ないと思うし、瞬君たちともそれなりに上手くやっていると思っていた。この世界でも、一応の立場を得た。だけど…。」
見つめあった瞳が揺れているのが分かる。彼の目が揺れているのか、自身の瞳が揺れているのかは、今のゆきには分からなかった。
「最近、ゆきは僕と距離をとるよね。一緒に居ても、すぐに目をそらすし。手をつないでも離してしまうし、愛しているよって言うと怒るし。」
「それはっ。」
「ごめんね。どうしたら君は喜んでくれる?僕にはこの世界に君だけなんだ。君がいなければ僕には何の値打ちだって無い。この世にだって意味は無い。あの時、君が居ない世界なら滅びればいいと言ったのは本気だよ。君に愛されないなら僕は…。」
「リンドウさん…っ!」
名を叫んだ後、ゆきは隣で丸まっているリンドウの背を渾身の力で抱きしめた。
「なんで、なんでそんなこと言うの?私が、瞬兄の話をしたから?手をつなぐの恥ずかしがったから?愛しているって、ちゃんと言えなかったから…。」
そこまで言って気づいた。
目の前の大人は、いつも一生懸命にもがいているのに、それを隠す困った子供だ。格好つけて大人ぶっているけれど、本当は余裕なんか無い…。ゆきを追いかけて現代まで来てしまった。追い詰められた気持ちもふざけてごまかしてしまう困った大人だ。
だから、せめて私だけは全部分かってあげようと、何があっても寄り添って支えようと誓ったはずなのに。
あんまりにも、現代に馴染んだ風にするリンドウが自然だから。出来過ぎて、まるで嘘のようで。あんまりにも、ゆきには出来過ぎた御伽噺のような恋をさせてくれるから、すっかり忘れてしまっていた。知らないうちに自分のことだけでいっぱいになってしまっていた。
「ゆき、泣かないで。」
長い指が、繊細な動きで涙を拭った。
「ほんと、僕ってかっこ悪い。君のことがこんなに好きなのに酷いことして泣かせてばかり。」
「違います。こうやって、リンドウさんと色々話して、笑って、喧嘩して…。そういうのが本当に幸せだから、泣きたいくらい大事だから、泣いているんです。」
「はは。何それ。」
「こうやって一緒に過ごしている内に、知らないリンドウさんをいっぱい知って、嬉しくて。でも、凄く幸せすぎて、段々不安になってきて…。私も、自分に自信が無くなってきて…。」
離れていた手のひらが重なったと思ったら、くいと引っ張られて瞼に柔らかなぬくもりが触れた。それは一瞬で、驚いたことで涙がひいた。
「ね、ゆき。僕を嫌いじゃない?」
「嫌いじゃありません。」
「それじゃ、こっちへ来てよ。」
座り込んだ自分の前をリンドウが指差す。
ゆきは弾かれたように立ち上がり、その場所へ体を移す。ぎゅっと目を瞑り、それから精一杯の笑顔で目の前の人を見上げる。
「さっきまで泣いていたのに。もう笑った。」
「リンドウさんが居てくれるからですよ。」
「これからも、手をつないでくれる?」
「はい。いっぱい手をつなぎましょう。」
「会ったら抱きしめてもいい?」
「二人だけの時ならいいですよ。」
「可愛いねって言ってもいい?」
「友達の前じゃなければいいです。」
注文が多いな、と言いながらも段々といつものようなやり取りに、リンドウの声も明るくなる。
「それじゃ、毎日愛しているって言ってもいい?」
「…リンドウさん。」
いつもなら、調子に乗りすぎです!と口を尖らせて抗議するところだ。だけど、今日は違う。素直になれなくて悲しませてしまった大切な人に、素直になりすぎて傷つけてしまった大切な人に、本当の気持ちを伝えたい。
「私も、愛して…」
言葉は、軽く触れた唇に止められて。その後、吐息ごと全て持っていかれてしまう。
そっと名残惜しい熱が離れていくのを、ゆきはぼんやりと見送った。すると、リンドウがゆきの手首を取る。今度は手のひらの中心に熱いキスを落とす。
「覚えている?あの時の誓いはまだ生きているよ。僕は、君の手を離さない。ずっとね。」
まあ、誓いというか懇願だったけどね。
言って破顔する。
「だから、君も僕を離さないで?」
「私頑固ですから。嫌と言っても離しません。」

お互いの手をとって、手のひらに口付ける。
掌の上には懇願のキス。

狂おしいほど愛しい気持ちと約束のキス。

 

【終】

(2012-04-22up)

全てを終えて、江戸を後にする迄の束の間のこと。
連日連夜の書き物に、昼間は神子殿のお供。
疲れていたし、油断もあったと思う。

「…ウさん、…ドウさん。」
遠くて近いところで声がする。

「リンドウさん!」

唐突に、呼び声は鮮明な響きをもって頭を直撃して一気に覚醒する。目を開けてゆっくりと正面に視線を移すと、鼻頭がくっつきそうな程近くに、ゆきが居た。

「おはよう?神子殿…。」
「はい。」

応えたまま、ゆきは動かず、じっとこちらを見つめている。文机に片肘をついたままのリンドウの真正面に正座した格好だ。

何となく居た堪れなくて、憎まれ口をたたいた。
「こぉら。女の子がそんなに殿方の顔を見つめるものじゃないよ?」
「あ、ごめんなさい?」
分かったような分からないような返事をするゆきを横目に、照れるし、と小声で呟いてしまったのは不可抗力だ。

さり気なく装って顔を離したあと、それで?と目線で問えば、
「お庭を見に行こうと思ったので。一緒にどうですかと思ったけれど、やめにします。」
と言う。
「なんで?」
「リンドウさん、疲れてるもの。ちゃんと休まないと駄目ですよ。」
まさか、ゆきにそんなことを言われるなんてという思いが顔に出ていたのだろう。
「私は、もう大丈夫ですよ。」
と、ゆきが重ねて言った。
「それで、ゆきはどうするの?僕を置いていっちゃうの?」
「ん、そうですね…。」
考えるゆきを良く見てみれば、髪は降ろされていて、頬はほんのり上気して赤い。
服装も、昼間の神子の装束をといて、薄手の着物に羽織りを引っ掛けただけだ。
「ゆき、その格好…。」
「あ、ごめんなさい。先に、お湯頂きました。」
「うん。そこじゃなくてさ。」
いつもなら、一から十まで言って聞かせるところだけれども、どうにも頭が回らない。
一瞬気が遠くなり、ガクンと文机についた肘がズレて顎が手のひらから落ちた。
「……眠い。」
「大丈夫?リンドウさん。」
頭の上から声がする。
「もう駄目かも。」
「それじゃ、今日は早く寝てくださいね。おやすみなさい。」
あっさりと言いおくと、ゆきは立ち上がった。
それは無いんじゃない?と、回らない頭が残った力を総動員して騒ぐ。通り過ぎようとして目の前を舞う絹の裾を掴んで訴える。
「嫌だ、寝たくない。」
「どうして?まだお仕事残ってるんですか?」
引き止められて、ゆきは再び目線を合わせて問いかけてきた。
「違うよ。僕、ひとりじゃ寝られない性質なんだよね…。」
「え?」
言葉を受けて、ゆきが一瞬固まる。期待を込めて見つめると、神妙な顔つきで言う。
「えっと、どうしたらいいですか?小栗…、慶喜さん?」
「ちょ、何で慶くん?と言うか、君困った時に思いつくのは慶くんなの?」
それは許せない、とばかりに目の前で膝立ちしているゆきの肩を両手で掴んだまでは良かったが、やはり力が入らない。
「眠い…。」
「もう…、リンドウさん。やせ我慢して。」
優しい手のひらが頭を撫でた。
「私、女中さん呼んできますね。」
「ヤダ。」
「リンドウさん。」
困ったように、ゆきが少し声音を強めた。
「ね、ゆきが一緒に居てよ。」
「え?…きゃっ。」
返事を待たず、そのまま後ろに倒れこんだ。ゆきを胸の上に抱きこむ。
「温かい。これでいいよ。」
「これでって…、離して下さい!」
小さく暴れる身体を強く抱き締める。
「おやすみ。」
「…もう。」
意外にもあっさりと。
観念したのか、ゆきは暴れるのをやめて胸に頭を預けてきた。
「今日だけですからね。」
小さく呟くのが聞こえる。
「ヤダ。言ったでしょ、ひとりじゃ寝られないって。」
「リンドウさん、小さい子どもみたい。」
「うん。」
「でも…。」
ゆきが、腕の中でもぞもぞと向きを変えた。背中から抱き締めていたのが見つめ合うかたちになる。
「その…、今までどうしてたの?」
「え?」
「ひとりじゃ寝られないって、その…。」
真っ赤になって俯いている姿を見て、思わず吹き出した。
「リンドウさん、ひどいです…!」
「気になる?」
「なります!」
それは、君が僕に興味を持っている徴し。
嬉しくて胸が熱くなる。
「大丈夫。」
もう一度大事に抱き締めた。額から手をやって髪を梳いて頭を撫でれば、目の前の愛しいひとが気持ちよさそうに目を細める。
「眠れなくなったのは、ゆきのせいだから。後にも先にも、君無しじゃこんなことにはならないよ。安心して?」
「…、私だけ?」
「ゆきだけだよ。」
「良かった。」
ちょっと複雑な顔をしていたが、すぐに花のようにほころぶ。そういうの反則だから、と呟けば不思議そうに目を瞬く。
可愛い。

可愛いいんだけど。
「眠い…。」
「おやすみなさい、リンドウさん。」
「うん、おやすみ。」

まあ、たまにはこういうのも。

 

【終】

(2012-04-07up)

式神越しの逢瀬は、予想以上に胸を揺さぶった。
「まずいな…。」
こうなることを知らなかったわけじゃない。
だから、余計に問題なわけだけど。
(僕の努力ってなんだったの?)
そこまで考えて、自分の中の矛盾にリンドウは苦笑した。
だって、本来、星の一族の先見は必然なのだ。

今日も、神子殿は額に汗しながら江戸中を駆け回っている。
庶民の言動など所詮は目先のことばかりで、見たくない現実からは目を背け、その先の手順だとかいったものはまるきり無視なんだから。
そう何度遠回しに告げても、神子殿はまるで意に介さない。ただ黙々とその使命を果たしている。
あの日、睡蓮の池で泣いている神子殿を見た時、初めて気付いたのだ。
全てを超越して世の理を導く者にも葛藤があるのだと。
ただ悪戯に神子という立場と力を振るうのではなく、少なくとも僕の神子殿は葛藤していた。

神子としての使命感。
しかし、消えゆく16歳の身空の命。
それでも取りこぼす数々の運命。

そう言ったものに涙しているのだと知って、何も変えられやしない(僕の運命も)、無力な僕の中の神子殿は変わった。

神子殿は立派に戦っている。
変えられない運命を嘆いて諦めた振りをしている自分と、市井の民草はどれだけ違うというのか。

失くせないと思って…

何とか神子殿だけでも救いたくて問いかけた。
「君、神子をやめない?」
「やめません。」
笑顔で返す君。何も出来なかった僕。

やはり、無力なのは僕の方。
正面から見つめるのが怖くて、指の隙間から見ていた現実だ。

今までの拙い人生の中でも、これ程までに悩み深い日々は無かった。

ある夜、遠い昔の父上の言葉を思い出した。
星の一族としての名前を授かった時のことだ。

一族は皆、花の名を授かり神子への献身を誓う。
リンドウ…という名が初めは嫌で仕方がなかった。

あなたの悲しみに寄り添う

花言葉は、その頃すでに自身の気質を理解し始めていた自分には皮肉めいて聴こえたのだ。

指先ひとつで未来を切り開く神子殿に、どんな悲しみがあると言うのだろう。
想像もつかないことに寄り添うなんて名前を与えられても、後向きなことしか考えられなかった。
「悲しみを与えるのは、誰なのでしょう。」
ふと疑問が零れ落ちた。
父上は微動だにせず、穏やかにおっしゃった。
「この世のすべてを救うという事は、この世のあらゆるものを背負うということ。お前などには想像できないような苦しみや悲しみを、そして喜びもすべてを一身に受けて、神子は世界を救わねばならない。星の一族は神子を支え仕えるのが使命だけれど、出来ることは非常に少ないのだよ。無力なお前は神子に何が出来る?」
「それは・・・。」
言い淀む。ただでさえ、星の一族としての力が乏しい自分に出来ることなどほとんど無い。
それは事実であり、陰陽道を修めた今であっても常に重くのしかかる蟠りだった。
「先見の通りなら…」
父上は言った。
「我々の神子は凄惨辛苦の道をゆくだろう。喜び多い時には道連れは沢山居るものだが、窮地にあって寄り添うものは多くはない。お前は、どんな時でも目を逸らすことなく、神子に寄り添い支え仕えなければならない。それは、とても辛くて苦しい道だよ。」

お前に、それができる?

正直なところ、僕の理解を超えたところにあるその問いに、僕は「是」とは答られなかった。

何も出来ず、ただ側に居ることしか出来ないなんて、考えられなかった。
自分が全霊で仕えるひとに。
きっと好きになるひとに。

「良かった…。」
式神越しの声は震えていた。
泣いていると分かって湧き上がったのは、喜びと複雑な感情。
「全てを知っているリンドウさんからの言葉だからこそ…。本当に、良かったと思えたの。」
きっと優しい微笑みを浮かべながら、美しい瞳には涙が光っているだろう。
叶うなら手ずから拭ってあげたい。
どれほど心を偽ろうとも、これ以上は自分自身を誤魔化せないことを悟った。

どれほど願ったところで、結局のところ僕には何も無い。

僕の名前と心以外、君に何もあげられない。

それが辛くて、自分が疎ましくてずっと目を逸らし続けたけれど、覚悟を決める時が来たみたいだ。

神子殿に差し出せる唯一絶対のものを、僕はひとつしか持っていない。

「早く戻っておいで。」

そう伝えて、覚悟を決めた。
こうなることは分かっていた。
その為の名前を僕は持っている。

君が辛いときも悲しいときも、ずっと側に居るから。
僕が君の悲しみも苦悩も全部知っててあげる。
どんな君でも寄り添い続けると思いを込めて。

「君に会いたい。」

誓いを胸に秘めて、僕は神子殿との会話を終えた。

君にあげるよ。
僕の身も心もぜんぶ。

 

【終】

(2012-03-25up)