ゆきが褒美を賜った。
褒美というよりも、たわいのない贈り物へのお返しである。

バレンタインデーを模して、菓子を配ったのだ。

実は、その贈り物は八葉に加えて周辺の幾人かにも配ったので、返ってきた品も様々である。
まず朝一番に、桜智から大量の生花を贈られたのを筆頭に次々とゆきの部屋に運びこまれていた。

「高杉殿、桂殿は郷里の酒か」
「まあ、らしいっちゃらしいな」
都とチナミが、ゆきの前にズラリと並ぶ品を品評する。
「梅の花と歌もついている」
「そういうところあるよな、あいつ」
「こちらは、坂本殿からだな」
小花模様の風呂敷に包まれた組み木の小箱だった。
「ちょっと可愛いのが癪だけど、結局は旅の途中の土産だよな。これ」
都の辛口にチナミが若干怯んだ。
しかし、意を決したのか背中に隠した包みを差し出す。
「これは、沖田と…俺からだ」
「わぁ、うさぎのお饅頭とお団子だね」
それを見たゆきが嬉しそうに目を輝かせた。
「まあ、お前らはそんなもんだよな。上出来なんじゃない」
「先から感じていたが、八雲はどこから目線で品評しているんだ…」
都の弁にチナミがボヤく。
ついでに、都と瞬からゆきへのお返しも菓子である。ある意味外してはいない。
ここまでさらりと流してきた都がふと姿勢を正した。
「さて、ここからはちょっとモノが禍々しいんだが…」
目の前に鎮座するのは、赤い漆塗りに螺鈿細工を施した眩しいばかりの鏡台である。小松からだ。
使いに来た薩摩藩士曰く、

「神子殿は華美を好まれず、大仰なものは受け取られないとのことでしたので。
ささやかではありますが御家老からはくれぐれも宜しくと…」

云々、ということらしい。
「これをささやかだと言い切る感覚が分からない」
「まあ、小松殿の地位とお立場を考えれば控えめではあるのだろうな」
「あと、問題はこれだ」
桜智が花とともに置いていった錦袋である。
都が手にすると、ガチャガチャと音がする。
「一体何が入ってるんだ?」
「ふ、袋は上等なようだが」
いよいよ、チナミのフォローも苦しい。
意を決した都が袋を逆さにすると、畳には薄紅や薄青の小さな貝殻が広がった。
「うわっ、なんだこれ」
「落ち着け八雲、貝殻に色を塗ってあるだけだ」
「それ、おはじき?何だか楽しそうだね」
そこに割って入ってきた声がある。
「リンドウさん」
ゆきが名を呼ぶと、呼ばれたリンドウは笑みとともに半身をずらした。
「神子殿にお客だよ」
リンドウのさらに後ろから顔が覗く。
「ゆき、お返しを持ってきましたよ」
アーネストである。
「アーネスト。当日もお花もらったよ?」
「でも、あなたの世界では今日お返しするのが正式なのでしょう?」
ゆきの前にやってきた彼は、ウィンクすると小さな白木の箱を取り出した。
「つまらないものですが」
「本っ当、お前どこでそんな言葉覚えてくるの?」
「さあ、日本語は本当に奥が深いですね」
都の突っ込みもさらりとかわし、白木の箱から取り出したのは一脚のティーカップだった。
淡い花柄に飲み口が金で飾られている。
「あ、これ!」
「この前、領事館へ来たとき随分と気に入っていたようでしたから。差し上げます」
「ありがとう、アーネスト」
「いいえ、あなたの笑顔が見られるなら安いものですよ」
さすが英国紳士、照れがない。と、都が呆れ気味につぶやいた。
「そういえば、僕も君に渡さないとね」
今度は、一連のやり取りを見ていたリンドウが包みを取り出す。
中から出てきたのは、赤い漆塗りに蒔絵が施された文箱だ。
「はい、頼まれてた文箱とか筆とかいろいろ。鏡台も赤いみたいだし丁度よかったかな」
ゆきが蓋をあけると、中には一揃いの筆に硯、花弁を織り込んだ料紙が入っていた。
「すごい!ありがとうございます、リンドウさん。こんな立派なものでなくても良かったのに」
「そう言われても、あまり粗末なものをあげるわけにはいかないからね」
ゆきに許可を取って筆を手に取ったチナミが感嘆の声をあげた。相当良いものらしい。
「あ、そうだ。もうひとつ君に渡さないと」
思い出した、と、リンドウが一度廊下に引っ込み戻ってくる。
手には紫に染め抜かれた絹の風呂敷包みが収まっていた。
「なんか、また禍々しいのが来たぞ…」
「っ、良く見ろ八雲。徳川家の紋が入っている…」
都に同調しかけたチナミが目を見開いた。
「はいこれ、慶くんから」
包みの放つ格式からは考えられないほどの軽さで手渡された。
「小栗さんからですか?」
「うん。実は朝一には届いてたんだけど。渡すの遅くなってごめんね」
「いえ、そんな。気を使っていただいただけでも…」
驚いたふうにしているゆきと周囲を見て、リンドウが若干的外れな応えをする。
「意外と慶くん、そういう家内のことにもきっちりしているから」
「いや、そういう問題じゃないだろ」
都がぼやく。
公儀の奉行であることは知っているものの、しかし渡されたのは葵の御紋付の包みである。
若干の息詰まる緊張の中、とかれた包みから現れたのは果たして、色とりどりの糸で飾られた美しい手鞠であった。
「何だ、これ」
「手鞠じゃないの?」
そんなことは分かっていると、都がリンドウを睨む。
「どうして、手鞠など…」
困惑するチナミを他所に、ゆきの手元の鞠をアーネストはまじまじと見ていた。
「これは、美しいですね。これほど隙無く何色もの糸を重ねて花を象っているのですね。素晴らしいです」
ほう、と息をつく。
「ね、ゆき。それの使い方を教えてください」
アーネストが好奇心いっぱいの様子でねだった。
「うーん、多分こうかな」
静かに手元から落としてつく。
畳の上だからか、控えめにトントンと音がする。
「でも、なんで小栗がこんなものを…」
「あ…」
都の呟きにゆきが小さく声をあげる。
「もしかしたら、私が遊べるものが無くて寂しいって言ったからかな」
時折、身体を休める為にと一日邸に籠められるのだが、如何せん寝てばかりなのも体力を奪う。
それで、起きて何かしたいのだけれども、皆忙しくて話し相手にはできないし、
この時代の字が読めないから本も読めない。
リンドウに頼んで、いくつか絵草紙を借りたが、そもそも邸に女性が居ることが想定されていなかったから、
大した数があるわけでもなく。
何か、江戸の遊び道具は無いかと、二人と話している時に尋ねたのだ。
リンドウは、文字を習えばと筆記用具を贈ると約束してくれた。
そして、小栗はしばし黙した後、考えておこう、と言ったのだった。
思えば、桜智のくれたおはじきも、そんな話をどこかで聞いていて選んでくれたのかもしれない。
「嬉しいな。みんなの気持ちがこんなに沢山…」
「そ、そうだな…」
若干、疑問を感じる点もあったが、喜ぶゆきを思って都は堪えた。
「それで、ゆき。誰を選ぶのですか?」
「え?」
唐突なアーネストの問いかけに、ゆきは首を傾げた。
「ゆきの世界では、バレンタインデーは意中の異性に告白して、
今日返ってくる品によって想いが遂げられるかどうか判断するのですよね」
「あ、アーネスト!」
「若干、曲解してるけど間違いでもないな」
「竹取物語のかぐや姫の伝統が、ゆきの世界にも残っているのですね」
「いや、サトウくん。それはちょっと違うんじゃない?」
口々に勝手なことを話しはじめる。
「ああ…」
「どうしたの、都」
「高杉か沖田、チナミが一番マシかもって思っちゃった自分が気持ち悪い」
「な、どういう意味だ!」
「僕も結構いい線だと思うけど」
「お前のは、お返し関係なく約束してたんだろうが」
「では、やはり私が一番かな」
「確かに一瞬そう思ったけど、周到過ぎて重いんだよ!」
都の的確過ぎる突っ込みに若干引きつつチナミが言う。
「ならば、やはり御奉行か小松殿…」
「あいつらは、モノが重過ぎる!」
「それでは、桜智さんは?」
完全に面白がってアーネストが振った。
「あいつのは、モノはともかく経緯が怖すぎるだろ」
特に、おはじきの一件。

でも、結局は。

「私は、全部嬉しかったです。みんな大好きですし」

都が頭を抱え、チナミは深い溜息をついた。
「さすが、ゆきですね」
アーネストが言うと、リンドウがおかしそうに笑った。
「折角なので、リンドウさんにもらったお道具でお礼状を書きますね」
何故だか、やる気満々のゆきが、チナミに書き方を教えてね、とお願いする。

困惑するチナミを他所に、皆少しばかりの苦笑とともに、その場にへたり込んだのであった。

後日、ゆきからの手紙の内容で一悶着あったのはまた別の話である。

ゆきが、当代将軍たる徳川慶喜に針の指南を受けていると聞いたのは、ある日の江戸城でのことだった。
「どうしてそんなことになってるの?」
「そりゃぁ、俺に聞かれても分からんぜ」
「そもそも、何で龍馬くんが知ってるの?ここに居るの?」
「ちょ、ちょっとお目付、質問は一回に一個にしてくれって」
妙な話を、何故か江戸城に出入りしている坂本龍馬から聞き、リンドウは何度か目を瞬いた。
(慶くんから針の指南?)
話が素っ頓狂にすぎて、さしものリンドウも頭がついていかない。
確かに、最近勝手に慶くんがゆきを呼び出しているのは知っている。
許しがたいと抗議してからは、一応リンドウの耳にもゆきの登城についての情報は入ってくるようになった。
しかし、何をしているかと思えば……。
何となく面白くない気持ちが募り、龍馬を廊下に置き去って向かうは将軍の執務室である。

***

文机に向かう慶喜の目の端には、先ほどから刺繍に励むゆきの姿が映っている。
こうして針を進める様を見るのは片手では利かないが相変わらず運びが拙い。
気にしなければ良いのだが、ゆきが度々針を指にさしては「あっ」と声をあげるものだから、
どうしても気になってしまうのだ。ため息を吐き、筆を置く。
「相変わらず、拙いものだな神子。少しは上手くなったのか」
あきれた様に言う慶喜に、ゆきが苦笑する。
「以前と比べたら大分針目は綺麗になったと思うんですけれど」
はにかんで首を傾げる様に、慶喜もつい微笑した。
「見せてみろ」
ゆきの肩越しに、その手にある角枠を覗き込む。
「ああ、なぜそこに針を刺す。こう糸を揃えて……」
器用に短い針と糸を操る当代将軍を見つめていると、廊下の方で大きな足音がした。
数秒も立たぬうちに襖が開かれる。
「御前失礼仕りますよ」
慇懃無礼に、執務室へ乗り込んで来たのは勿論リンドウである。
ゆきの背後にぴたりとくっついた慶喜の姿を確認するや、間に立って引き離す。
「ああっ、そんなにくっつかないでよ!何してるの?」
「えっと……」
ゆきがとっさに角枠を後ろ手に隠す。
「リンドウ、許し無く将軍の居室に乗り込むとはいい度胸だ……死罪にするぞ」
ゆきが、駄目と首を振る一方で、慶喜の恫喝にもリンドウはどこ吹く風である。
そもそも、ここに至るまでの経路で、彼を通した幕臣達も幕臣達なのだが。
ここで問答しても無駄であると悟り、慶喜は言葉を継いだ。
「見ての通りだ。神子が刺繍をしているのだが、拙くてな。やむを得ず指南しているまで」
「そこが疑問なんだけど。慶くん、刺繍なんて出来るの?」
「お前の懐から見えている巾着だが……」
「ああ、これ?ゆきが作ってくれたんだよ」
喜色満面のリンドウを睨みつけて慶喜が言う。
「それも、私の指南だ」
「ええっ!?」
おずおずと膝を進めると、ゆきが言った。
「以前、登城した時にたまたま教えて頂いて…。
慶喜さん、色々お上手なんです。お針も得意だけど、釣りも上手いんですって」
「慶くん……」
リンドウが幾らか気落ちした風に言った。
「君、将軍だよね?」
「間違いない」
「どうして?」
「分からん。何をやっても私は上手いぞ」
どうだ?とばかりに言ってのけたが、当のリンドウの反応が鈍い。少々気まずくて言い足す。
「まあ、刺繍は母上が得意とされていたのでな」
「だからと言ってもさ……」
複雑な顔で、リンドウは手元の巾着と慶喜の顔を見比べた。こうなると何とも興も削げる。
「おい、執務を終えたなら神子を連れて退出してよいぞ。大義であった」
言われなくても、と憎まれ口を叩くリンドウをチラと見たゆきが慶喜を見つめる。
「色々ありがとうございます。もっと上手になったら御礼に何か作りますね」

***

微笑みと喧噪を残して二人が去った居室で再びため息をつく。
龍神の神子には少なからず感心がある。
自身の命令にも関わらず、江戸に残ったのをこれ幸いにと城に呼び出して見れば、
然るべき時に向けてと針の練習をしているという。
誰に吹き込まれたやらと思い静観していれば拙くて見ていられない。思わず手を伸ばしたら今の有様である。
よく考えずとも大分道が逸れている――――――――
神子が嫁入りの為に苦心している針を手解きしてやり、他方では面倒な神子の想い人を導いてやる……。
これでは、まるで神子の母親のごときだと思うが、今更か。
神子に針を教え始めてから、ごくごくたまに手に取る角枠を眺めた。
刺繍などと思うが、意外と精神統一には良いものだ……と自分に言い聞かせてみる。
そして、刺繍もそうだが、ほとほと自分の器用さには嫌気がさす。
もっと不器用なら、率直に思いを口に出来ただろうか。
しかし、神子が江戸に居るうちは幾らでもやりようがある。
慶喜は、そう自身に言い聞かせて、とりあえず溜飲を下げることとした。
押しの強さでは天下一品なのだ。
まだまだ、勝負はこれからである。

真夜中の電話。
いつもなら、少し逡巡してかけるのを止めたりもするのだが、今日の所は選択の余地などなかった。
とにかく声が聞きたくて。
ほんの僅かでもいい。寝ぼけていたって・・・起こしてしまうのは可哀想だけれど、それでも。

『・・・はい』
「ゆき?僕だけど」
『はい、いま帰りですか?』
「そう。やっと玄関まで辿りついたところ」
『そうですか・・・、遅くまでお仕事お疲れさまです』

携帯越しに聞こえる声は、やっぱり少し寝ぼけていて。
それでも、電話に気付いて出てくれたのがちょっと嬉しい。
「ごめんね、寝てた?」
『ううん・・・、電話待ってましたから。ちょっと居眠りしちゃったけれど』
「そうか。遅くなってごめん」
『そんなことないです。電話くれて嬉しいです』

返される言葉のすべてが可愛くて、愛しくてたまらない気持ちになる。
家に帰って部屋に君が居てくれたら、どんなにか心癒されるだろう。

「ゆきに会いたい」
『ん・・・、リンドウさん?』
「会いたい、ゆき。君に会いたい」
『私も・・・です。でも、今日はもう遅いから・・・』
「うん。でも会いたい。ゆき、会って抱きしめたい。口付けてそのまま眠りたい」

彼女が寝ぼけた様子なのをいいことに、普段なら言わないような事まで口にする。
それでも、敏い神子殿は違和を感じたのだろう。
『リンドウさん・・・、どうしました?』
「んー。少し、疲れているかも」
『困りましたね。辛いですか?』
「うん。でも君の声を聞いたらちょっと元気になった」
『そうですか。良かった』
「うん。ゆきのおかげかな」
『じゃあ、もっとお話したら元気になりますか?』
可愛い提案に思わず笑みがこぼれる。
「今日の所は大丈夫だよ。明日、仕事早く終わらせる。君は?」
『・・・私も、大丈夫です。学校が終わったら何にも』
「じゃあ、迎えに行く。いい?」
『はい』
楽しみだな・・・
『楽しみにしてます。待ってますから』
先に言われてしまった。
「じゃあ、今日はおやすみ。」
『はい』
「ゆき、愛してるよ」
『私も、愛してますよ・・・』

そのまま、眠りの世界に吸い込まれて行きそうな声。
(おやすみ、良い夢を)

そっと告げて電話を切った。

不意の笑顔が

今日もまた、池のほとりに佇む君を見た。
その表情はどこか虚ろで、しかし、どこか遠くを見据える様に視線は静かで平かだった。
さざ波さえ立たせず池に手のひらを沈め、一点を見つめる。
声を掛ける事も憚られ、息を詰める様にして、じっと見守っていた時だった。

ふとした瞬間、さやかな風が吹き抜けて髪をさらうと、それに逆らう様に君がこちらに振り向いた。
瞳が僕を捉える。

薄く開かれていた唇が戦慄いて結ばれると、口の端を緩く持ち上げる。
わずかに覗く、小さな前歯の白さが目に痛いようで。
不思議な色香を漂わせた、儚くて消えそうな微笑み。

散り、舞い上がる命の花の光を背に、白肌は境界を無くしてほの白く輝く。
まるで、羽衣をまとった天人のようだった。
緩慢な動作で伸ばされる腕は届かず、そのまま下ろされる。
その、不意の笑みに君を失うような心地がして思わず踏み出し手を伸ばす。

触れてはいけない、と思いながら。

 

無謀と知っても

相反する心が同居する。
叶うだろうか、叶わないだろうか。

運命が変えようの無い絶対のものだと言っておきながら、心は抜け道を探している。
心は、覆される事を期待している。

想いは積もり続ける。夢で垣間みたあの日から。
告げてもいいだろうか、告げてはいけないだろうか。

日に日に、大きくなる声に耳を塞ぎたくなる。
大きくなる想いに痛む心臓をかきむしりたくなる。

君が、好きだった。
君が好きだ。

逆らう事は無謀と知りながら耳を塞ぐ。
君を失うのも運命なら、君に恋するのも運命だから。

真っ直ぐな瞳が

真っ直ぐと向けられた瞳に貫かれる。
矢のような鋭い視線ではないが、意思の強い眼差し。

凛としたその瞳が、少女のすべてを表していた。

頼りなげに肩を震わせるのに、いつも瞳だけは毅然とした色を保っていた。

『私は、神子をやめません』

何度、打ちのめされても身の内の炎は消えず、その瞳をますます輝かせる。

そして今。
いつしか魅入られたその瞳が、僕だけを見つめている。

「好きです」

背筋を冷たい雷が通り抜ける。
まるで、青白い稲光に打たれたような言い知れぬ愉悦と快感を走らせる。

「リンドウさんが好き」

その輝きで、見つめたものを呑み込むような瞳から視線をそらす事も出来ず、ただ喉を鳴らす。
言葉を返す代わりに、目の前で色づく唇を塞いだ。

 

誰より君が

何で、こんな事を考えてしまったんだろう。

それは多分、体調を崩して床に臥せっているからだ。
君はいない。

そりゃそうだ。
だって、あの子は学校に行っている。
僕の知らない、彼女だけの世界に。

ここまで考えて、溜息をつく。
我ながら嫌になる。
何てみっともないんだろう。

君が居なければ、僕はこの世界でひとりきり。
それよりも、何よりも、僕の世界は君が中心で、君が全てだ。

ただ、嫌なのは何でこんな時に、こんな事を考えてしまったのかと言うこと。

誰より君が知っている通り、ぼくは、しょうもない男で、一人じゃ生きてる心地がしない。

早く、早く帰ってきて。
側にきて知らせて欲しい。

僕は、ひとりじゃないことを。

(お題提供:「確かに恋だった」http://have-a.chew.jp/)

「どうしたの、ゆき?」

ある夜のこと。リンドウはゆきと話をしていた。
現代に戻ってからは、もっぱら携帯電話での会話で、ゆきが好きなときに使うことを許されている。
「夜遅くにごめんなさい。」
「いいよ。どうしたの?」
「…ちょっと、リンドウさんの声が聞きたくて。」
可愛らしい答に頬が緩むのを感じながら、リンドウは、大人の余裕を総動員して冷静を保つ。
「君、眠れないんでしょ。困った子だ。」
子ども扱いしないでください、とゆきが膨れているのは、電話越しでも容易に想像できた。
何か悩みでもあるのだろう。意地悪は早々に切り上げることにする。
「何かあった?いいよ、聞いてあげる。」
ポツリ、ポツリとゆきが話すのを真剣に聞きながら、携帯電話を肩に挟み、両手は取り出したお札を器用に折り曲げる。
ゆきが話終わるころ、
「さあ、できた。」
「きゃっ!」
リンドウが、お札から手を離すと同時に、電話の向こうから小さな悲鳴が聞こえた。
しかし、次の瞬間、
「わぁ、きれい…。」
「びっくりした?」
頭上には、色とりどりの花の蕾が開いては花弁を散らし、再び蕾になりを繰り返す。
同じものが、ゆきの頭上でも披露されているはずだ。
「もう…、急になんですかリンドウさん。私のお話聞いてましたか?」
ゆきが拗ねてみせる。
「聞いていたよ。大変だったね、ゆき。君は良くやっているよ。」
「…。」
「だからね、これはご褒美。少しは気が紛れた?」
おそらく、ちょっと悔しそうに頬を染めているだろう、ゆきを想像してリンドウは笑った。
「リンドウさんの意地悪。急に優しくしたりするし…。」
「心外だな。僕はいつもゆきに優しいでしょ。それを言うなら君こそ。」
「え?」
「困ったことがあったら、すぐに僕に言いなよ。遠慮する仲じゃないんだから。」
「でも…。」
「でも、じゃないの。大体、眠れないなら呼んでよ。君が眠るまで一緒に居てあげるから。」
「そ、そんなこと!」
声を荒げるゆきに、にんまりしながら、嬉々としてリンドウは続ける。
「つれないな。眠れぬ夜は僕を傍においてよ。」
「冗談ですよね?」
「じゃないよ。本気も本気。」
「~~っ!!」
湯気が出そうになる程真っ赤になっているだろう。式神なんか使わなくても、手に取るように君のことは分かるよ。
「もう、バカ。」
「君の恋人と星の一族の名にかけて誓うよ、ゆき。僕だけは、ずっと君の味方だから。どんなことがあっても、君を見限ったり、離したりしない。」
だからね、とリンドウは言葉を一度切った。
「安心して眠りなよ、ゆき。君が眠るまで花を咲かせるよ。」
「…ありがとう。リンドウさん。」
「いつぞやみたく、僕も一緒に寝ちゃう前に君も早く寝て。明日は、元気な君を見せて。」
ゆきが、ふふっと嬉しそうに笑うと言った。
「いつぞやみたいなのも、たまにはしてみたいかも…。今度は仲良くお花見しましょうね。」
「…おやすみ、ゆき。」

今度こそ電話を切って、ひと知れずリンドウは赤面したまま、しばし余韻に浸った。
本当に、ゆきと居ると最後まで余裕でいられたことがない。
厄介なお姫さまである。
だからこそ、願う。

眠れぬ夜だけじゃなくて、いついかなるときも、君の傍にいさせて。