「君、会うたびに綺麗になるね。」
「えっと、今朝会ったばかりですよ?」
「うん。その間に綺麗になった。」
辛い道のりと燭龍との凄絶な闘いを終えて、現代に戻るまでの束の間。
リンドウに請われ、またお世話になった沢山の人たちにお礼を言いたいと考えたゆきは、間もなく春を迎える江戸に滞在していた。
ちなみに、今居るのはリンドウの邸の一室で、目の前には見慣れた八葉二人の顔がある。
「なぁーんか調子が狂うなぁ…。お嬢が綺麗なのは紛れもない事実だが…。」
「お目付けが気色悪い声を出しているからでしょ。」
半ば呆れかえった表情で、薩摩藩家老の小松帯刀が隣で頭を掻く坂本龍馬に言った。
ゆきは、江戸幕府奉行職を賜る小栗忠慶…実際は、次期将軍の呼び声高い一橋慶喜その人だったのだが…から、リンドウを通じて現代へ還ることを命じられている。
しかし、実は目付というだけでなく、それなりの身分にあったリンドウをも連れ帰ることになったこともあり、身辺整理に時間がかかることは承知されており、暗黙の了解のような形でふた月程の時が経過していた。
ゆき自身の挨拶回りは終了し、あとはリンドウを待つばかりなのだが、さすがに簡単には片付かない。忙しくしているところにべったりと貼り付いていくことも(本人の意向は別として)実際には難しく、たまに八葉の面々が訪ねてくるのを幸いに、同行して市中を散策したり、邸で談笑するのがゆきの日常になりつつあった。
特に、藩の要職にあり江戸に邸を構える小松と、足取り軽く全国を飛び回る龍馬と顔を合わせることが多い。
今日も今日とて、訪ねてきた二人を部屋に通したところまでは同じだが、違うのはリンドウが同席していることだった。
はじめ、ゆきを神子として認める気はまったく無かったらしいリンドウは、それは辛辣な言葉と態度で彼女を責め立てた。しかし、徐々に口調はともかく態度が軟化していったあげくに、突如として砂糖を振り掛けたように甘くなったことを、八葉としてほぼ毎日同行していた二人は知っている。
しかしどうだ。今や、水あめを絡めた練り菓子か何かのように甘ったるい。
ゆきと二人が話している間も、ずっと隣で彼女の髪を弄んでいる。その眼はひどく優しく、口元に微笑みが浮かぶ。一瞬、どこぞの情報屋の影がデジャヴした。
「ああ、いかん。ここまで来ると目の毒だ…。」
ついに、龍馬が額を抑えて苦虫をかみしめたような声でうめく。それを頃合いと見たか、小松もため息を吐くと切り出した。
「お目付けも戻られたことだし、私たちは退散しようか。野暮は信条に反するしね。」
「えっと…。」
「うんうん。それじゃね。二人とも仕事がんばってね。」
慌てるゆきに対して、リンドウは満足気ですらある。
「あの、ごめんなさい。また、来てくださいね。」
「私もそれほど暇では無いのだけど。まあ、機会があれば。」
「俺もまた、江戸に来たときにはな。元気でな、お嬢。」
申し訳ないと思いつつ二人を見送りリンドウの待つ部屋に戻れば、そんなゆきの心情を知ってか知らずか、満面の笑みが待ち構えていた。
「はぁ~。やっと二人になれた。」
「もう、何でそういうこと言うんですか。」
「何でって。僕、ゆきと二人になりたかったから。」
臆面もなく言い放つものだから、ゆきもそれ以上言えなくなってしまう。
だから、代わりにちょっと頬を膨らませてぷいと顔をそらしてやる。
「ねえねえ、こっち向いてよ。」
「…。」
「ねえ、ゆき。」
しばらく無視を決め込んだが、リンドウは何度も何度も名を呼んでくる。一定の距離を保ったまま、そのうち声がしゅんとしてくるのがわかる。
「ゆき…。返事して?」
言って、着物の裾を掴まれれば、いつも根負けするのはゆきの方。
「もう…。何ですか?リンドウさん。」
ちらと見れば、また満面の笑み。
「庭に梅の花がきれいに咲いたんだ。一緒に見に行こう。お茶とお菓子を持って行ってしばらくゆっくりしたいな。」
あまりに邪気なく言われれば、これ以上意地もはり続けられない。
「わかりました。お花、見に行きましょうか。」
ゆきが笑って答えれば、それは嬉しそうにリンドウは手を取った。
こんな具合に、いっそ過剰とも思えるほどの「大好き」オーラに圧倒されながらの毎日で、これ以上の愛情を向けられたら自分はどうなってしまうのだろうと思わないこともない。
しかし、不思議とボロボロにされてしまうとは思わなかった。
「ねえ、リンドウさん。」
「なぁに、ゆき。」
「その…、私が神子を辞めてからずっと凄く優しいから。あんまり甘やかさないでくださいね。」
「なんで?」
「なんでって…。」
ボロボロにされるとは思わなかったが、惜しみない愛情の中で溺れてしまいそうだと思うことはあった。そして、それに慣れきってしまうのは良くないことだとも。
「僕は、君と出会うために生まれて、だけど別れなきゃいけない運命を背負って生きてきた。君のことを好きになったらいけないし、出来ることなら君に嫌われたいと思ってた。だけど、ゆきのおかげでこうして一緒に居られることになったんだもの。無いと思っていた分も全部、一生分ゆきを愛するよ。」
「また、そういうこと言う…。」
「ダメ?」
そう言って顔を覗き込まれたら、ゆきの負けだ。そもそも「ダメ?」と聞くのは反則。そんな聞き方をされたら、
「ダメじゃないです…。」
としか、答えられない。
「それなら、いっぱい甘やかされて。ゆきが油断したところで時々いじわるするかもしれないけど。」
「え、そんな!」
「ゆき、好きだよ。」
「…もう。」
庭の東屋で、隣に座るリンドウの左肩に頭を預ける。腕が伸びて優しくその頭を撫でた。
「今でも、時折思い出すよ。睡蓮の池の前で泣いていた横顔。君を失う運命なんて到底受け容れられるわけがない。例え、その道筋が儚い春の夜の夢のような道のりだとしても。」
「リンドウさんは、私を失ったりしませんよ。今だってほら、大丈夫だったじゃないですか。」
「うん。」
リンドウの手が、ゆっくりと頭を撫でた。
「運命を切り開く白龍の神子殿は、確かに春を招く天女だったよ。決して進むことを諦めない。無い運命は自分で切り開き生み出した。」
どんな形であれ、懸命に咲こうとするものを手折ることを厭う彼女だから。
すべてを咲き誇らせる為に、どんなに険しい道のりでも、冬の吹雪の如く冷たい世評にも耐えて咲かせた大輪の花。
ふと、ゆきが、小さいながら見事な枝ぶりで花を咲かせる梅に手を伸ばす。
「本当に綺麗です。お花いい香り。」
「もう少ししたら、沢山の花が咲くよ。春がやってくる。」
「私、春が好きです。冬の間、じっと力を蓄えて待ち続けてやってくる季節だから。」
「そう。」
「でも、リンドウさんと過ごしたから、今年は冬も好きです。」
「これからは、一年中毎日一緒に過ごそう。すべての四季が大好きになるようにね。」
「ふふ。大変ですね。」
愛し愛され過ごす毎日は、常春の天国。
少しばかり、甘くなってしまうのは、どうか許して欲しい。
【終】
(2012-05-06up)