式神越しの逢瀬は、予想以上に胸を揺さぶった。
「まずいな…。」
こうなることを知らなかったわけじゃない。
だから、余計に問題なわけだけど。
(僕の努力ってなんだったの?)
そこまで考えて、自分の中の矛盾にリンドウは苦笑した。
だって、本来、星の一族の先見は必然なのだ。

今日も、神子殿は額に汗しながら江戸中を駆け回っている。
庶民の言動など所詮は目先のことばかりで、見たくない現実からは目を背け、その先の手順だとかいったものはまるきり無視なんだから。
そう何度遠回しに告げても、神子殿はまるで意に介さない。ただ黙々とその使命を果たしている。
あの日、睡蓮の池で泣いている神子殿を見た時、初めて気付いたのだ。
全てを超越して世の理を導く者にも葛藤があるのだと。
ただ悪戯に神子という立場と力を振るうのではなく、少なくとも僕の神子殿は葛藤していた。

神子としての使命感。
しかし、消えゆく16歳の身空の命。
それでも取りこぼす数々の運命。

そう言ったものに涙しているのだと知って、何も変えられやしない(僕の運命も)、無力な僕の中の神子殿は変わった。

神子殿は立派に戦っている。
変えられない運命を嘆いて諦めた振りをしている自分と、市井の民草はどれだけ違うというのか。

失くせないと思って…

何とか神子殿だけでも救いたくて問いかけた。
「君、神子をやめない?」
「やめません。」
笑顔で返す君。何も出来なかった僕。

やはり、無力なのは僕の方。
正面から見つめるのが怖くて、指の隙間から見ていた現実だ。

今までの拙い人生の中でも、これ程までに悩み深い日々は無かった。

ある夜、遠い昔の父上の言葉を思い出した。
星の一族としての名前を授かった時のことだ。

一族は皆、花の名を授かり神子への献身を誓う。
リンドウ…という名が初めは嫌で仕方がなかった。

あなたの悲しみに寄り添う

花言葉は、その頃すでに自身の気質を理解し始めていた自分には皮肉めいて聴こえたのだ。

指先ひとつで未来を切り開く神子殿に、どんな悲しみがあると言うのだろう。
想像もつかないことに寄り添うなんて名前を与えられても、後向きなことしか考えられなかった。
「悲しみを与えるのは、誰なのでしょう。」
ふと疑問が零れ落ちた。
父上は微動だにせず、穏やかにおっしゃった。
「この世のすべてを救うという事は、この世のあらゆるものを背負うということ。お前などには想像できないような苦しみや悲しみを、そして喜びもすべてを一身に受けて、神子は世界を救わねばならない。星の一族は神子を支え仕えるのが使命だけれど、出来ることは非常に少ないのだよ。無力なお前は神子に何が出来る?」
「それは・・・。」
言い淀む。ただでさえ、星の一族としての力が乏しい自分に出来ることなどほとんど無い。
それは事実であり、陰陽道を修めた今であっても常に重くのしかかる蟠りだった。
「先見の通りなら…」
父上は言った。
「我々の神子は凄惨辛苦の道をゆくだろう。喜び多い時には道連れは沢山居るものだが、窮地にあって寄り添うものは多くはない。お前は、どんな時でも目を逸らすことなく、神子に寄り添い支え仕えなければならない。それは、とても辛くて苦しい道だよ。」

お前に、それができる?

正直なところ、僕の理解を超えたところにあるその問いに、僕は「是」とは答られなかった。

何も出来ず、ただ側に居ることしか出来ないなんて、考えられなかった。
自分が全霊で仕えるひとに。
きっと好きになるひとに。

「良かった…。」
式神越しの声は震えていた。
泣いていると分かって湧き上がったのは、喜びと複雑な感情。
「全てを知っているリンドウさんからの言葉だからこそ…。本当に、良かったと思えたの。」
きっと優しい微笑みを浮かべながら、美しい瞳には涙が光っているだろう。
叶うなら手ずから拭ってあげたい。
どれほど心を偽ろうとも、これ以上は自分自身を誤魔化せないことを悟った。

どれほど願ったところで、結局のところ僕には何も無い。

僕の名前と心以外、君に何もあげられない。

それが辛くて、自分が疎ましくてずっと目を逸らし続けたけれど、覚悟を決める時が来たみたいだ。

神子殿に差し出せる唯一絶対のものを、僕はひとつしか持っていない。

「早く戻っておいで。」

そう伝えて、覚悟を決めた。
こうなることは分かっていた。
その為の名前を僕は持っている。

君が辛いときも悲しいときも、ずっと側に居るから。
僕が君の悲しみも苦悩も全部知っててあげる。
どんな君でも寄り添い続けると思いを込めて。

「君に会いたい。」

誓いを胸に秘めて、僕は神子殿との会話を終えた。

君にあげるよ。
僕の身も心もぜんぶ。

 

【終】

(2012-03-25up)

欲しいものが手に入らないなどということは無くて、望めば両の手に納めきれぬ程に与えられた。
ただ傲慢に、この世に得られぬものは無いと信じられたらどれ程良かっただろう。

それが例えば、人ひとりの運命だったとしても。

『二条の御曹司ともあろう方が。あのようなもの、他に良きものは幾らでもありましょうに。』

邸の奥へ案内される途中、呆れとも憤りとも取れる声音が漏れ聞こえた。
主の身の上に相応しく、常なら粗相など考えられぬゆき届いた家人しか居ないこの邸にしては珍しいことだ。
案内の先に立つ、古参の女中が小さく詫びを言った。
取り立てて気にすることもなく、客人、江戸幕府奉行職を賜る小栗忠慶はただ嘆息する。
さてはまた、主の悪い癖が出たらしい。
通された室で畳縁を眺めていると、しばらくして聞きなれた足音が近づいてきた。
それを合図に目線をあげれば見事な調度品の数々が目に入る。華美ではないが、品のある質の良い品ばかりである。艶やかに光る飾り棚の上に、色あせた櫛が置かれているのに気づいたところで、間近でかすかな衣擦れの音がした。顔を向ければ、邸の主が少し不機嫌な様子で敷居をまたごうとしているところだった。

一見しただけでは、この邸の品々と主とは釣り合わない。
目の前の男は、着衣は着崩しているし、髪も肩まで伸ばしたものを額にかからぬよう結いあげただけだ。

じっと見つめられたのが落ち着かないのか、斜に構えたままで、挨拶もなく問いかけてくる。
「どうしたの、慶くん。あまり見られるのは好きではないんだけど。」
「いや。今度は何を壊したのだろうと思ってな。」
その話?と嫌そうな顔をすると、邸の主…呼び名をリンドウと言う。は、小栗の正面に座りこんだ。
「別に。何にも。それより何か用があるんじゃないですか?」
「相変わらず話のすり替えが上手いことだ。そこの櫛か?」
「それは大した話じゃない。」
「では何をした。」
確かに、櫛だけで良く躾られた女中が大仰にボヤくとも思えない。
じっと見つめると、リンドウはしばし躊躇った後、俯き加減でポツリと言った。
「花を。」
「枯らしたのか。」
しかし、それも大したことではなかろうに。
再び見つめれば、バツが悪そうにしながら続ける。
「舶来ものの…。兄上から無理を言って譲って頂いた鉢があるんだけど。」
「関白殿から?枯らしたのか。」
「違う、枯れたの。もうこの話はお終いにしましょう。」
無理やり話を打ち切って、リンドウは小栗に用向きを促した。

珍しい話ではない。

小栗はリンドウを幼き頃から見知っているが、このようなことは頻繁にあった。
例えば、鉢植えの手入れなど大事なものであれば信用のおける家人にでも任せればよいのである。しかし、それをしない。

特段、鉢植えを好むわけではない。それが小鳥でも皿でも書物でも同じだった。
気に入ったものは手ずから世話をしないと気がすまないのである。
しかも、限度を知らない。

自身の大切なものだ。
出来うる限り手をかけ、慈しみたいのは良く分かる。

だが、四六時中側を離れず、下にも置かない扱いで没頭する。
有体に言えば過剰なのである。

これが、相手がモノであればまだ良いが、生き物・・・まして人であった時には悲劇である。
本人の望む望まざるに関わらず、それなりの家柄、立場にあるリンドウの一挙一動は軽くはとられない。
相手の立場に、本人の気質もあいまって、とんでもなく重いものになってしまう。

「まあ、それだけではあるまいがな。」
「なにが?」
思わず零れ落ちた言葉にリンドウが反応した。
「そういえば、昔、先見の話をしてくれたことがあっただろう?」
小栗が言うと、驚いたような顔でリンドウが答える。
「そんな話をしにきたの?」
「いつか降臨する神子の為に星の一族は庭を整えるのだと言って、珍しい花を見つける度、取り寄せて手ずから世話をしていたな。」
「そうだったかな?まあ、みんな枯れて土にかえったよ。」

何ともないように言っているが、当時はまだ年若く素直な時分だ。そわそわと、浮き足立つ気持ちを無理に抑えながら、しかし丸見えの状態であった。

『僕の生きているうちに神子が降臨する。そして、僕は神子殿をきっと気に入る。』
『歴代の神子殿は、みな花が好きらしいよ。差し上げるなら珍しいものがいいだろうか。』
『この櫛は、代々とても美しく清廉な姫君が愛用されていた品だそうだ。細工も素晴らしいし神子殿に相応しい品だよ。』

いっそ清清しいほどに。
妄執とも取られかねない執着心は深い愛情の裏返しなのだろう。
しかし、過ぎた愛情はそれが全て正しく伝わるとは限らない。

可愛がっていた小鳥を逃がした時、脈々と受け継がれてきた一族の予言書を片っ端から捲った。
たかが小鳥一羽の運命など記されているはずが無かったけれど、そこはかとなく、それは運命であったのだと感じた。
京での暮らしが息苦しくなり、江戸に出てきた時もだ。
己の意思固く家を出たはずが、気付けば兄の、一門の掌の上だった。
自分がどれほど心を傾けようと、この世に存在する総てのものは、あらかじめ決められた運命を外れることは出来ないのだと、リンドウは悟った。

「本当に。どうしたの慶くん。つまらない昔話だ。」
「思えば、ことごとくお前の大切なものは運命に攫われていったが、神子だけはまだ分からないのだな。」
「はあ。」
「だから、諦めきれずに集めているのだろう?花やら櫛やら。神子の為に。」
「つまらない勘繰りだよ。」
何でもないような口振りだか、顔は眉が下がり少し心細げだった。どうやら、あながち間違いではないようだ。
「神子には、お前の真心が伝わるとよいな。お前の紡いだ運命の通りに。」
「…何言ってるの。頭、大丈夫?」
「さてな。少し、花の芳香にやられたらしい。」
「それは大変だね。お嫌でなければ、花見でもしていく?酒でも呑みながら話を聞こうか。」
「風流なことだ。」
「あっそ。」

小栗の言葉に、リンドウは肩をすくめると、側に控えているだろう女中を呼んでから立ち上がり、部屋から出ていってしまった。

京に神子が降臨したらしい。
噂を聞きつけた本家は、遣いをやって、あっという間に江戸の邸にも素晴らしい庭を整えてしまった。
それだけでも腹立たしいのに、神子の為に育てていた、なけなしの鉢を枯らしてしまったとあっては堪らないだろう。
彼の気質からしても。
無力な自分の運命を疎ましく思ったに違いない。

どんなに厭うている振りをしても、やはり彼は星の一族として神子に仕える使命を持って生きてきたのだから。
有能で聡い癖に酷く面倒で、だけど情が深い。
この難解な年上の従兄弟殿を理解してやれるものが、これまでどれだけ居ただろうか。

しかし、お役御免となる時期は近いだろう。
小栗は、リンドウが”気に入る”はずの、まだ見ぬ龍神の神子に思いを馳せた。
さて、もう少しだけ背中を押してやらねばならぬか。
リンドウが戻り、本題に入るまでの僅かな間でも、彼の気が済むまで“先読みの神子殿”の話に付き合ってやってもいい。
予想される、ちょっと後の己の運命を思い、庭を見ながら苦笑した。

みんなみんな神子のため
そんな君のために少しだけ背中を押してあげよう

 

【終】

(2012-03-20up)

総ての決着をつけ、現代へ還って来てしばらく。
平穏無事な日々が続いていた。
ゆきは、日本の高校に通い始め、江戸から現代へ連れたってやってきたリンドウも、龍神の加護か配慮か、何らかの職を得て生活は安泰のようである。

が、そのリンドウについてゆきは気になることがあった。

晴れて恋人同士となってからは、彼の度を過ぎた愛情もそれ程苦になることもなく、週に2、3度の逢瀬を楽しんでいた。

ところが最近のこと。
リンドウの部屋を訪ねたゆきは、和紙の長い紙束・・・手紙だろうか、を眺めて苦笑する彼の姿を見つけた。
その顔は、眉根を下げて困ったようにしているのに優しい微笑みを浮かべているのだ。

ゆきは、その顔に覚えがあった。
母が贈ってくれた真珠のネックレス。これを見ながら現代の生活を思い出していたときの自分。懐かしくて嬉しいような、悲しいような。
きっと、今のリンドウのように苦笑ともつかない複雑な微笑みを浮かべていたに違いない。

ということは、である。

(リンドウさん、元の世界が恋しいのかな・・・。)

いくら乞われたとはいえ、生まれ育った世界とはまるで違う異世界へ連れて来てしまったことを、ゆきは多少なりとも気にかけていた。
不便がないように、不安にならないように心を砕いていたつもりだったが、それだけでは拭えない思いもあろうことは容易に想像できた。八葉たちに支えられていたはずの自分がそうであったように。

(手紙か・・・)

公家の名家中の名家の生まれでありながら、現代へ行くと決めたリンドウの身辺整理は非常にあっさりしていた。

ゆきの挨拶回りに付き合いながら、江戸の邸は、2、3古参の家人に言付けをした位で、一度だけ京の本家に出かけたかと思ったら、すぐに戻って来た。
おそらく今生では二度と会えないだろう家族と一日くらい過ごさなくて良いのかと聞けば、後は書状のやり取りだけで十分だと言う。
気にはなったが、それ以上は何も言えないで居たのだ。
(でも、気になることはちゃんと聞いた方がいいよね。)
ゆきは、素直に尋ねることにした。
「リンドウさん。何を読んでいるの?」
「ああ、兄弟からの手紙だよ。」
「それ、こちらの世界に来る時に持ってきたんですね。」
「慰めにはなるかと思ってね。」
「元の世界が懐かしいですか?」
「全く。」
問えば、間髪入れずに返答された。
だから、ゆきは心に疑問が残るのを感じつつも、それ以上問うことをしなかった。

それから、さらに数週間が経った。

相変わらず、時々だが手紙を眺めるリンドウの姿を見かけた。
表情も変わらずだが、時折楽しそうに笑ったりする。
本人が望郷の念とは違うと言うのだからと重ねて問うことをゆきは躊躇っていた。

(でも、やっぱり気になる。)

こうなると、気になるのは手紙の内容である。
慰めにはなるかもとリンドウは言っていた。もしかして、何か彼の心を慰めるヒントが、ゆきの知らないリンドウのことが書かれているのかもしれない。
そう決めつけて、ゆきは勇気を出して再び手紙について尋ねることにした。
「リンドウさん。」
「なぁに、ゆき。」
「そのお手紙、お兄さんからですか?」
「うん。こっちの強い筆跡が兄、こちらの長いのが姉からだよ。」
これも後から知ったのだが、リンドウには母を同じくする兄と姉が居る。二人とも星の一族だ。
兄は二条家の当主で、あの世界の関白を務めていた。歳も随分離れているし、あまりに位の高いひとだから、実弟である自身も気安く会うことはかなわないと言っていたことを思い出した。
「確か、江戸のお庭はお兄さんが整えてくださったんですよね。素敵なお庭だったから、私、お礼を言いたかったです。」
「必要ないよ。あれは兄上の使命みたいなもので、整えさせられたのは僕だから。」
リンドウは、あからさまに不機嫌な顔をして言う。さり気なく自己主張も忘れない。
「使命・・・ですか?」
「そう。一応、星の一族の当主でもあるわけだし、信心深い方だから、神子の為にあらゆることを惜しまぬ覚悟でいらっしゃったよ。でも、ゆき。さっきの会話で拾うところ、そこじゃないよね・・・?」
不満そうにブツブツと呟くリンドウを横目にゆきは思案を巡らせる。
「お姉さんは、どんな方なんですか?」
「君、相変わらずひとの話を聞いてくれないね。」
「ごめんなさい。でも知りたくて。リンドウさんのこと、いろいろ知りたいの。」
そう伝えれば、またそんな言い方をして、と頬を染めてリンドウが怯んだ。その隙を逃さずゆきは本題に切り込んだ。
「お手紙、なんて書いてあるの?」
「え、ああ。不肖の弟が神子について異世界へ行くなんて許されないことだと書かれているよ。」
ゆきは驚いて、思考が一瞬停止した。
「私がリンドウさんと一緒に帰ってしまったから・・・?お兄さんは、リンドウさんがこちらの世界に来るのを反対していたの?」
「それはそうだろうね。」
「・・・、そうですよね。」
あっさりと頷かれてゆきは気落ちしたように俯いた。
末弟とは言え、名家の御曹司で、才気煥発な次期将軍とも上手くつきあっていた有能な人材である。血も繋がっていれば、尚更可愛いことだろう。
それを、突然やってきた自分が二度と手の届かぬ場所に連れ去ってしまったのだ。
ましてや、神子を辞めた今となっては、星の一族とも関係は無いのに。
やっぱり聞かなければよかったかも。でも、聞いてしまったからには、私はリンドウさんに何て言えばいい?
いよいよ落ち込んだ風に表情が曇ったゆきを見て、リンドウが口を開いた。
「もしかして君、何か勘違いしてない?」
「え?」
「兄上が、君に怒っているとでも?」
「違うんですか?」
「さっき言っただろう?不肖の弟が神子殿についていったのを嘆いておられるだけだよ。」
「だから、それは私がリンドウさんを連れて行っちゃったから・・・。私が・・・。」
「違うって。兄上は僕よりずっと星の一族の使命に忠実で信心深い方だと言ったじゃないか。本当は、自分が神子殿を助けたかったし、今だってご自分がついていきたかったとおっしゃっているだけだよ。」
「え?」
「姉上も同じ。星の一族として生まれたからには、神子殿に仕えるのは至上の喜びなんだよ。それを、出来の悪い弟に役目を掻っ攫われたあげく、逃げられたんだから、そりゃ気分も害するよね。」
「はあ。」
「実際、神子殿・・・ゆきは僕のものだし、それが悔しくてしょうがないから長々と手紙を寄越して厭味を言っているわけ。本家に居たらキリが無いからね。早々に退散したわけはそういうこと。」
何やら、ゆきの想像を絶する展開に困惑しながらも、ゆきはもう一度確認した。
「その・・・、お手紙。前に心慰められるって。」
リンドウは、ゆきの問いかけに一瞬目を見開いた後、意図を理解して満足そうに笑顔で答えた。
「悔しそうな兄上達を想像すると、ゆきが僕だけの神子殿だって実感できるじゃない。それが最高に愉しいし癒されるね。」

二度、三度、瞬きしたゆきは、何か言葉を継ごうとしたが上手くいかない。
まさか、そんな話をされようとは。

「ゆき、どうしたの?」

ソファの隣で愉しそうに呼びかけるリンドウには答えないまま、抱きしめたクッションに顔を埋める。

ああ、本当にどうしよう。

にこにこと、ゆきの反応を待つリンドウの気配を感じながら、ゆきは苦悩したのであった。

【終】

(2012-03-18 UP)

日々繰り返される神子としての生活と、それに伴う浄化による力の消耗で、気丈に振舞ってはいるが、生気の乏しい表情が見えることもあったゆきである。

しかし、ここ数日は目に見えて表情が明るい。
特に都と顔を寄せて何か語り合っては楽しそうに笑い声をこぼすこともあった。

八葉たちは、一様に不思議に思いつつも、ゆきがほころぶように微笑む姿は心浮かぶことであったし、相手も都であったことから、何か女性同士思うところがあるのだろうと、特段気にはしていなかったのだった。

【瞬の場合】

「ゆき、本当に行くのか?」
「もちろん。どうしたの都?」
「いや、あの朴念仁のところにハロウィンって言ってもなぁ…」
数日前から都と相談して準備をしていたハロウィンの真似事遊び。
辰巳屋に滞在する八葉たちを驚かすという試みは今のところ順調だった。
龍馬然り、チナミしかり、あの小松もだ。
意気揚々と、次は瞬のところへ向かおうとしたゆきを留めたのは都の重い足取りである。
「大丈夫だよ。瞬兄もハロウィンは知っているもの」
「そりゃそうだけどさぁ…」

今まさに飛び込もうとしていたのだ。
当然部屋の最寄りでのやり取りとなり二人の気配を瞬が見逃すはずはなかった。
スッと襖が開かれて現れたのは無表情の瞬である。
「あぁっ!」
「うわぁ!」
慌てて布団を被ろうとするも、遅い。
「一体何事ですか。ゆき、それに都、お前まで」
「あのー、そのハロウィンだから皆のお部屋を回っていたの」
冷えた雰囲気の中、そこは都を巻き込んだ責任もあってゆきが説明する。
「ハロウィン…。ゆき、その布団はどこから持ってきたんですか?」
「え、これは女将さんに言って借りたの」
ふ、と考えるように口元に手を当てた瞬はなおも続ける。
「その髪ひもは?」
「これは女将さんが…」
「その紅や絵の具は?」
「それは女将さんが…」
「紙は?」
「えーと、女将さんが…」
瞬が大きなため息をついた。
「女将は、ずいぶんと面倒見がいいんですね」
「ほ、本当だよ!」
「別に、疑ってなどいません。そうですか、後でお礼を言わなければ」
ゆきの保護者を自認する瞬の脳裏には、気の良い辰巳屋の女将が浮かんでいた。
一方、たくらみが実行する前に泡と消えてしまった後、次々と質問を投げられたとあって、ゆきは少々ふくれている。
「おい、瞬。折角、ゆきがお前なんかもハロウィンに入れてやろうって来てるんだぞ」
都が、ゆきの肩を抱き寄せながら睨みつける。
「ああ、分かっている。ゆき、どうぞはじめからお願いします」
「でも…」
完全に分かったうえで驚かせにかかるなんて、ちっとも面白くない上に難儀である。
「まったく仕方がない…」
うなだれる少女と威嚇する少女。
二人を前に瞬はもう一度軽くため息をついた後、部屋へ戻ってしまった。
「何だあいつ。だから嫌だったんだ」
「都…」
そんなこと言わないで、と続ける声が消え入りそうだ。
確かに、今日の瞬は少し冷たい。
ゆきがうな垂れた時、再び襖が開けられた。
「俺はいたずらされるのはごめんです。これをあげますから次へ行ってください」
瞬が何やらごそごそと小さな包みを取り出す。
「瞬兄…」
「何だ、しっかり用意してるんじゃないか」
都が呆れた風に言う。
「何か疲れた!ゆき、向こうで休もう?」
そのまま歩いていってしまった都を目で追いながら、ゆきは瞬に視線を戻す。
「あの、瞬兄お菓子ありがとう」
「どういたしまして」
「もしかして怒ってる?」
どこかまだ冷んやりした声音に、つい問いかける。
すると、瞬が苦笑した。
「いえ、怒っていませんよ。ただ…」
「…?」
「あなたが、八葉たちに可愛らしい姿で訪ね回っていると思ったら、面白くなかっただけです」
まして、イタズラするぞ?なんて、頼むから口にしないで欲しい。
「じゃあ、瞬兄もお化けをやる?」
瞬の気持ちを知ってか知らずか。
あさっての提案をする少女の頭を撫でる。
「俺は結構です。気をつけていってらっしゃい」
「瞬兄?」
突然の瞬からのお許しに、ゆきはキョトンとしてしまった。
でも、その声も顔も確かに笑っていたから。
「うん。いってきます」
ゆきは、布団を引き引き、次なるターゲットを探しに向かったのだった。

 

(2012-10-31up)

日々繰り返される神子としての生活と、それに伴う浄化による力の消耗で、
気丈に振舞ってはいるが、生気の乏しい表情が見えることもあったゆきである。
しかし、ここ数日は目に見えて表情が明るい。
特に都と顔を寄せて何か語り合っては楽しそうに笑い声をこぼすこともあった。
八葉たちは、一様に不思議に思いつつも、ゆきがほころぶように微笑む姿は心浮かぶことであったし、
相手も都であったことから、何か女性同士思うところがあるのだろうと、特段気にはしていなかったのだった。

[龍馬の場合]

「トリックオアトリートーっ!」
突如現れた真っ白なふとんの塊に謎の言葉を投げかけられて、龍馬は驚いて肩を跳ねさせた。
しかし、声は間違いようのない、ゆきのものであったから、すぐにその場で向き直り問いかける。
「一体どうしたんだい。お嬢」
訝る龍馬の前に真白いふとんから顔をのぞかせたのは、橙色の組紐で髪をくくった、これまたうって変わって愛らしい姿のゆきだ。

「龍馬さん。お菓子をくれなきゃ、イタズラしちゃいますよ?」
「は?」
意味が分からないということもあるが、常ならぬ趣向に龍馬は、知らず動揺した。
「か、菓子か?えっとぉ…」
慌てて懐を探れど、無いものを魔法のように取り出せるはずがないのである。

しばし錯乱状態だった頭を醒ますため、大きく息を吸う。

「で、いったい何なんだ?」

冷静を取り戻して、しかし惚けた顔で問う龍馬に、ゆきの後ろからひょいと顔を出した都が呟いた。反応遅ぇーよ、と。

「とりっくおわとりーと?」
「はい。ハロウィンと言って外国のお祭りです。私の留学していた国や、アーネストの国…イギリスでも。仮装してお家を回るんです」
ほぉ、と感心したように呟くと、俄然好奇心に瞳が輝く。
「その時に、トリックオアトリート!って言うと、お菓子が貰えるんですよ」
楽しそうに微笑みながらゆきが言う。なるほど、それで布団に橙色の組紐。お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞ?なのか。一人口中でいま得た知識を反芻しながら、龍馬は得心したとばかりに何度かうなづいた。
「それじゃあ、何かお嬢にやらねばならんなぁ。しかし…」
思案するように手のひらを顎に当てて天井を見上げる。
「こんな面白いこと、俺にも先に教えてくれたら…!お嬢と一緒に張り切ってそこらを練り歩いたんだがな」
「バカなこと言うなよ。お前ひとりで行ってこい」
「いやいや、まこと世界は面白い事やモノでいっぱいだな」
「人の話聞けよ」
都のツッコミも上の空で、龍馬はしきりにうなづいている。
そんな姿を微笑ましく眺めていたゆきだったが、ふと思いついたように龍馬に言う。
「それなら、龍馬さんもお化けをやりますか?」
白い布団をゆらゆらと揺らす。
「お、いいのか?そしたら、俺がお嬢にとりっくおわとりーと!ってぇ声をかけたら、菓子をくれるのかい?」
「はい、勿論です」
「あ、でもお嬢になら菓子じゃなくてイタズラでも…」
「おい、そこの中年。くだらないこと考えてるんじゃないだろうな」
にこにこと微笑むゆきの隣でニヤつく龍馬を都が睨みつけて牽制するがそこは龍馬である。
「まぁ、何はともあれ実践だ!」
都の牽制などどこ吹く風で宣言した。
ゆきはゆきで、躊躇う都を口説き落として、龍馬とともに布団を被ってしまったから観念せざるを得ない。
布団を被れば、途端に視界は遮られて真っ暗になった。
「龍馬さん、前見えますか?気をつけてくださいね」
「ああ。お嬢が先導してくれるんだろ?大丈夫だ」
都が心配そうに傍らについている。
「都がついてきたら、みんな気付いちゃうよ。ちょっと待ってて」
次なるターゲットを見つけたゆきが、都に告げる。
「お嬢、一体誰を見つけたんだい?」
「ひみつです。行きましょう、龍馬さん」
「え、俺にも秘密ってぇのは…」
面白いじゃないか。
「トリックオアトリートーっ!」
「菓子がなけりゃぁ、イタズラするぜ!」
「うわぁっ!」
飛び出して来た白い固まりに驚いて仰け反ったのはチナミだった。
「な、何事だ。ってゆきか?坂本殿も!?」
「チナミくん。お菓子をくれないとイタズラしちゃいます」
「かーっ、情けないぞ。男たるもの、化け物ひとつに腰を抜かしていちゃぁいかん」
「そ、それは……」
龍馬のからかいにも素直な反応で口ごもったチナミがおさげ髪をいじっている。
ぱしんと、後方で何かを叩く音がした。
「ってぇ、帯刀!?」
「まったく。大人げない遊びでふんぞり返ってる場合?」
衝撃に布団をのけて後ろを見やれば、そこには小松帯刀があきれ顔で佇んでいる。
「後ろがら空き。男の何たるかが聞いて呆れるね。あと、ゆきくん」
ゆきを呼ぶと、彼女の手のひらに包みを落とす。
「さっきの答えだよ。イタズラされるのも楽しみだけど、黒龍の神子に命を狙われるなら割に合わないからね。お菓子あげる」
「わぁ、有難うございます。小松さん」
「それじゃあね」
用件だけ済ませると小松は去っていった。
「ようは、お前に菓子をやればいいんだな?」
チナミがおそるおそる聞いてくる。
「ううん。イタズラでもいいよ」
「ばっ、馬鹿かお前は。小松殿の話を聞いてそんなこと言えるか!」
菓子は後で持っていくと律儀に告げてチナミは去っていった。
「はぁー。こりゃぁ中々楽しいな。後は誰が残ってるんだ?」
「えーっと。瞬兄とアーネスト、高杉さんもです」
「なかなかの難敵ばかりだな」
こうまで、真っ当に楽しまれては警戒する気も削がれたのか、都も”少し休憩する”と言い残して去っていった。
「瞬は部屋か」
再び、ゆきと布団を被る。また真っ暗な世界が広がった。
「こんな布団の中からでも、まったく違った世界が見えるものなんだな」
「そうですね。小宇宙って感じでしょうか。ちょっと例えが大げさですけれど」
「しょううちゅーってのはなんだい?」
「そうか。えーっとですね…」
ゆきと話していると話題が尽きない。次から次へと新しい扉が開かれ、未知の世界を龍馬に見せてくれる。
「そういえば、俺もまだお嬢に何もやっていなかったな」
「ふふ。でも、龍馬さんはお化け役に協力してくださったからいいですよ。仲間です」
仲間か…。と、今聞いた言葉を反芻する。
「そいつも嬉しい申し出だが…、ならこういうのはどうだい?」
一時、布団をのけてゆきに向き合う。
「何ですか?」
「俺は、これからもお嬢のやりたいことに付き合うぜ。例えばはろうぃんとか、他にも…」
一度言葉を切って、確信を持って継ぐ。
「旅に出る時、新しい世界を見に行く時も、俺もお嬢に付き合わせてくれよ。もちろん、俺が旅に出る時はお嬢を誘うぜ」
「龍馬さん…」
「って、それは俺がやりたいことだから、俺ばっかり得しちまうな。これじゃ駄目か」
すると、目の前のゆきが満面の笑みで手を差出した。
「そんなことありません。龍馬さん、宜しくお願いしますね!」
「シェイクハンドか!ああ、宜しくなお嬢」
ぎゅっと握った手のひらの温もりは、過去に想いを寄せた彼女と同じに思えるのに。
果たして、この目の前の神子は一体誰で、何を見せてくれるのだろう。
「じゃあ、次へ行くか!」
「はい!」
再び固い誓いと、未来の約束を交わして。

 

(2012-10-23up)

「それ、綺麗ですね。」

宿の縁側で一人佇む龍馬の姿を認めて、ゆきは声をかけた。
良く晴れているが、まだ昼前で照りつけもさほど強くない、清々しい天気だった。
「お、お嬢か・・・」
少し、驚いた風に肩を跳ねさせた龍馬だったが、すぐに斜め後ろのゆきを向き直る。
「べっ甲?」
先ほどまで、眩しそうに目を細めて陽に透かしていたものを見る。
龍馬の手元にあるのは、べっ甲細工の帯留めだった。
「ああ、これか。これは帯留めだ。ここに紐を通して腰にくくるんだ。」
少し、眉根を寄せた苦笑顔でゆきの手のひらに帯留めをのせる。
それを、同じように頭上に掲げて陽に透かした。眩いけれど柔らかい金色が視界に広がる。
「ふふ、綺麗ですね。これどうしたんですか?」
龍馬は、持ち前の好奇心と、元はそれなりに裕福な商家の出身だからだろうか。
この前のぽっぺんや香水のように、なかなかに気の利いたものを持ってくる。
大変に素敵なのだが、明らかすぎる程に一般人の手に届くものではないと分かるような、小松からの贈り物と比べれば、ゆきにとっては幾らか気楽で、しかし心を弾ませるようなものだから、自然、龍馬の持ち物には興味が湧いた。
今回も、その綺麗で柔らかな色合いをしたべっ甲細工はどこから手に入れたのだろうか、とただそれだけの興味で聞いたつもりだった。

「これは・・・。」
いつも歯切れのいい龍馬が言い淀む。しかし、一寸の後すっかりいつもと変わらない笑顔を見せる。
「昔の知り合いにもらったんだ。」
「そうなんですか。とっても素敵ですね。龍馬さんは帯留めはたくさん持っているんですか?」
「いや・・・、これは主に女性が使うものだからな。」
「そうなんですか?」
「ああ・・・。」
どうも、歯切れが悪い。
「おや、龍馬もすみに置けないね。」
後方から良く知った声が降ってきた。
「小松さん。」
振り返ると、薩摩藩家老である小松が、いつものように清廉な空気をまといながらも緩く微笑んでいた。
ちょっと失礼、などと言いながら、ゆきの手元から帯留めをつまみ上げる。
「へえ、なかなかに良い品だね。これを贈った女性は目が肥えている。それなりに裕福でもあるね。」
淡々と贈り主について考察を述べる小松に、小首を傾げながらゆきは問いかける。
「そんなこと分かるんですか?」
「分かるよ。君たちの世界や時代と違って、ここでは持ち物で大体の素性は知れる。」
そう言ってゆきを見下ろせば、その目が”誰なの?”と訴えかけていた。
ちらと龍馬の方を見れば、何とも決まりの悪い顔をしている。まあ、そうだろうね、と思いつつも、ここで龍馬にいらぬ気遣いをするのも不自然に思え、小松は浮かんだままを口にすることにした。
「そうだな。どこかの裕福な商家の娘の持ち物・・・ということも考えられるけれど、妥当なのは島原あたりのひとなんじゃない?そこそこの位の。一時期、芸妓と契りの証に帯留めを交わし合う、なんてのも流行ってたみたいだしね。」
「そ、そうなんですか。」
いつもは、徹底して無表情にも思えるゆきの顔が、少し動揺の色を見せたようだった。
「ねえ?当たらずも遠からずってところじゃないの、龍馬。」
確認するように声を投げれば、困ったように首筋を掻きながら、言うべき言葉を探すように唸っている。
「あー、そうだな。」
やはり歯切れが悪い。しかし、ここはやはり器用そうで不器用な龍馬なのであった。
「昔、だな。そのー、懇意にしていた茶屋があってな。と言っても、武士になりたての頃で先輩達に連れられて、まあ、そこで酒を嗜んでいただけだったのだが・・・。」
眉根を寄せ、言い訳じみた言葉を並べていた龍馬の瞳が一瞬緩んだことに、ゆきは気づいてしまった。
「偶然、初めての斬り合いに遭う前にちょうど、こいつを貰ったんだ。俺の身代わりになる守りにとな。それ以来、何となく手放せず、たまにこうして取り出して眺めている。」
小松からゆきの手に戻されていたそれを取り上げると、龍馬は再び陽にかざし目を細めた。
大砲で撃たれたように大きくて重く深い音が胸の奥で鳴ったような気がした。
胸が重苦しくなり、ゆきは右手で胸元を握りしめる。
「龍馬・・・さん。」
絞り出すように声をかけると、振り返った笑顔はとても優しかった。
「っ・・・。」
とっさに、左手を伸ばし龍馬の手にある帯留めを取った。
そして、そのまま握りしめ、腰を上げて走り出す。
「お、お嬢・・・!」
「ゆきくん!?」
驚いたような2人の声を振り切って、そのまま宿を飛び出した。ゆきの頭の中は真っ白だった。

宿から少し行った河原で腰を下ろす。川沿いの風は涼しく、肌に心地よい。
両足を抱えたまま、手のひらを開き、龍馬から持ち去った飴色の帯留めを眺める。
なぜ、こんなことをしてしまったんだろう。ゆきは項垂れて目をつむった。
歴史には疎いが、島原がどういった場所かは知っている。
龍馬はそこの女性から贈られたということを否定はしなかった。
契りの証・・・などという大げさなものではないにしろ、帯留めを交わすような機会があったということには違いない。
この時代、男女の間で装飾品を交わすということが、どんなことかというのは、ゆきには分からない。だけど、帯留めのその用途と、艶やかであえかな色気を感じる飴色から、何か淫靡なものを感じてしまった。
自分の考えに頭を振る。しかし、一度気になってしまうと頭から離れない。手元に握りしめている帯留めから目が離せない。
瞬時、大きく振りかぶり河原から流れの中へ投げ捨てようと思いつき立ち上がった。
だが、それを思いついた自分の卑屈さに愕然としてゆきは崩れ落ちるようにして再び河原に尻餅をついた。

私は、どうしてしまったんだろう。

「お嬢!」

遠くの方から声がする。見やれば龍馬がこちらに向かってかけてくる。
「お嬢。」
すぐ側にたどり着くと、再びゆきを呼び呼吸を整えるように肩で息をしている。
「はは、探したぞ。突然走って行っちまうもんだから。驚いた。」
ゆきの手元にあるものには触れもせず、にこやかに笑う声と表情は却って卑屈な気持ちを煽る。
「これ・・・。」
ゆきは、自ら手のひらを開き龍馬にそれを示した。
「ああ。すまんな、お嬢。これは結構特別で大事なもんなんだ。返してもらってもいいか?」
「特別・・・。」
脳裏に、これまで龍馬と交わした様々な言葉が甦る。そういえば、初めて出会った時から思わせぶりな事を言って、何か美しいガラスの破片のようなものを見せられたことを思い出す。ああ、あれは。何だったのだろう。
「龍馬さん・・・、特別なものがたくさんあるんですね。」
「え?」
急激に膨れ上がった思いは胸中を支配し、ゆきに冷静な判断を失わせた。
「私以外にも、大事なものはいっぱいあって・・・っ。」
頭の片隅で、それは当然だと繰り返す。しかし、胸が詰まり喉が閉まる。苦しくて、苦しくて息が出来ない。
「私、・・・っ。」
気づいた時には、帯留めは手のひらを離れ宙に舞っていた。ゆきの姿に驚愕したように立ち尽くしていた龍馬が、まるで一時停止から再生ボタンを押したように、慌てて動き出す。
それすら、ゆきには自分以外の特別で大切なものを追いかける様に見えた。
が、その手は舞い上がった帯留めではなく、ゆきの肩にかかり強い力で掴まれて引っ張られた。
気づくと、龍馬の背に庇われるように立っている。
「お嬢、怨霊だ。」
少し、掠れたような声で龍馬が呟く。まったく気づいていなかったゆきが肩越しに見やれば、河原に三体の怨霊の姿が見えた。
「戦えるか?」
龍馬が呼びかける前に、ゆきは、腰のレイビアに手を掛け横に並んでいた。何度も繰り返してきた行為は、酷く醒めたように行動を促す。
そこからは、いつもと同じだった。龍馬が援護し、難なく怨霊を追いつめる。
「お嬢、浄化を!!」
呼びかける声に頷き、向き直れば怨霊が劫火の中で燃えている。ふと、足下で光るものを見た。
あれは・・・。
急速に高ぶりが冷め、次に焦燥が襲った。
「っ・・・!」
怨霊の足下に向かって走り出そうとすると、強い力で腕を引っ張られる。
「何をしてるんだ!」
「りょ、あっ・・・帯留めが!!」
「それは、いい!早く浄化するんだ。」
「だめ、駄目です。龍馬さん!」
離して欲しいと身を捩れば、細い腰を片手で拘束され頭上では銃声が聞こえる。
「早く。浄化してくれ、お嬢。」

ようやく、封印を終えたゆきは呆然と目の前の黒こげた物体を見た。
ついさっきまで艶やかな光を放っていた帯留めは、無惨な姿になって転がっている。
あれほど、ゆきの心を締め付け、苦しめたものだったのに。しかし、龍馬の身の安全を祈り贈られたもので、龍馬自身も大切にしていたものだったのに。
先ほどまでの、卑屈な思いは息を潜め、罪悪感でゆきは泣き崩れた。
「ご、ごめ・・・。ごめんなさい・・・っ龍馬さん・・・。」
意味が無いことだと分かっていても、謝罪の言葉は止まる事無く唇から漏れた。
理由の分からない胸の痛みとは違い、今度ははっきりとゆきにも理解できた。
龍馬と、贈り主の気持ちを考えると胸が痛い。自分のしでかした愚かな行為で人の優しい気持ちを傷つけたことがどうしようもなく、情けなく、悲しくて、胸が痛い。
両手で顔を覆い泣きじゃくるゆきの頭に、ふわりと温もりが落ちた。
「お嬢は優しいんだな。」
およそ今の心境にはふさわしくない言葉が聞こえた。肩の震えが止まる。
「そんな・・・はず、無いです。」
自分でも分からないとは言え、子どもじみた感情の発露をコントロールできず、とんでもないことをしでかしてしまった。
「そうかい?だって、お嬢はあの帯留めと俺の為に泣いてくれてるんだろう。もちろん、自分への責めもあるんだろうが。」
龍馬は、少し首を傾げると額にかかった髪を握りしめる。
「あれはさ、本当にお守りのようなもので。元々は俺のものじゃない。昔良く共に居た先輩が馴染みの娼妓にもらったもんだ。その時も思いは込められていたんだろうけれど、俺自身が譲り受けたときも”身を守ってくれる”ようにと手渡された。」
「その先輩は?」
「さっき、なぜ俺がお嬢より先に怨霊に気づいたと思う?そりゃ、俺の方が冷静だったっていうのもあるが・・・。お嬢が帯留めを投げただろう?そいつに一瞬目をやった時に気づいたんだ。太陽を反射した光のもやの中に、黒いものが見えた。」
ゆきの問いかけには答えず、そのままゆきを河原に座らせると、自身も隣に腰掛ける。
「二人が守ってくれたのかもしれんな。俺と、俺の大切な人を守る為に。あれは十分に役目を果たしてくれた。」
「本当に、ごめんなさい・・・。」
ぽつりとゆきがこぼすと、その顔を眩しそうに眺めながら龍馬が肩に手を回す。
「それにさ、あれだ。お嬢は・・・。」
ゆきが、問いかけるような視線を向けると、少し頬を染めて視線を反らす。
「案外、俺のことが好きなんだな。」
「え?」
「俺に、自分より大切なものがあると思って逃げ出したんだろう?」
「そ、それ・・・は・・・。」
真っ赤になって俯くと、本当に帯留めさまさまだな、と龍馬は笑った。
「さて、帰るか。お嬢が凄い勢いで駆け出して行ったから、皆心配してるぞ。」
すっと立ち上がると、龍馬が左手を差し出した。
常であれば、気づかないか、気づいても取らないその手に、ゆきは手のひらを重ねた。5本の指が絡められ伝わる熱が全身を包む。
「笑ってくれよ、お嬢。」
泣きたいような、嬉しいような、複雑な思いで目の端に涙が浮かんだが、思い切ったように一度口の端を半月のように上げると、勢い良く顔を上げ微笑む。
「はい・・・。」
それは、甘いような苦しいような不思議な感情だった。

 

(2011-08-07up)