「あっ」
扇子が手の甲を打つ軽い音が静かな小部屋に響く。
「ほら、順番間違えてる。やり直し」
「はい・・・」
茶器を手に、もう何度目かの指摘を受けて少女は少し項垂れる。
しかし、次の瞬間には瞳は再び力を宿し、今指摘された手順を反芻しながら黙々となぞり始めた。
隣に座る上司が、ふぅ、と小さく息を吐いたのを西郷は見逃さなかった。
「まったく、君も物好きだ。行儀作法なんて公家のほうが行き届いているんだから、目付殿にでも習えばいいのに」
「それじゃ駄目なんです」
やり取りを聞きながら、物好きなのは貴方も同じだと思えども、それを口に出したらとんでもないことになるのは分かっていたから口を噤んでやり過ごす。
「私もそれほど暇じゃないし、一から十まで正しいやり方を教えてあげることは出来ないよ」
最もらしいことを言っているが、それなら適当に教師でも見繕って世話をさせれば良いのに。
それは嫌だから、こうして自らが茶室にこもって手ずから少女を教えている。
まして、遥々江戸まで報告にやってきた無骨な侍まで閉じ込めて茶会の真似事まで。
どうしても堪え切れずに肩を震わせて笑ってしまった。
「西郷?」
「いえ、何でもありません。御家老」
「ああそう。何でもない所で笑うのがお前ということだね」
絶対零度の声音に観念して、西郷は口を割った。
「いや、龍神の神子殿のたてる茶を頂けるというので思わず。失礼しました」
「ふぅん」
「・・・御家老自ら神子殿に茶を指南されているとは驚きました」
言わなくてもいい事を口にされて、御家老・・・小松が心底嫌そうにため息をつく。
「仕方が無いでしょ。右も左も分からない子に頼まれて追い返すほど、私は冷たい人間じゃないよ」
「あの、小松さんにはご迷惑をおかけしてしまって・・・」
「あのね、迷惑なら引き受けたりしないよ」
「でも・・・」
「それより、気を散らさない。ゆきくん、また間違えてる」
「え!?」
まったく、息のあった師弟ぶりである。
小松が冷たい人間ではないことなど、西郷は重々承知している。
が、一方、いくら健気なお願いごとだろうと、何でも無い少女に貴重な時間を割くことは無い事も重々承知だ。
それほどまでに、彼女を傍に置きたいのか。他のものの手や眼に触れさせたくないのか。
思いめぐらせているうちに、気付けば目の前に茶が差出されていた。
「おっと、これは失礼」
「まったく、期待しては無かったけれど、あんまり行儀知らずなのも困るよ」
上司の叱責に肩をすくめる。
「まことにかたじけない」
「いかがですか」
にこにこと、笑みを浮かべて神子が尋ねてくる。
「大変結構でした」
西郷は、破顔一笑応える横で、”見てもいなかったくせに”と小松が小声で付け加えたのは聞こえなかったことにした。
「それにしても、龍の姫さんはどうして行儀作法など?」
「それは・・・」
ふと、戸惑うように龍神の神子は言葉を切った。
すると、眼光鋭く小松が切り込んでくる。
「西郷、君は馬鹿なの?行儀作法など身につけて当然の類いでしょ」
「はは、そうですなぁ」
「あの、もしこの世界で生きて行くのなら知っていた方が良いと思って」
空中戦に割って入ったのは少女の可憐な、しかしはっきりとした声だった。
「ほう、なるほど?」
「このまま、ただ町で暮らして行くのなら困ることもないのでしょうけど、もしお屋敷においてもらうなら、知っていた方が良いと思って・・・」
伏せた瞳の下、頬がほのかに赤く染まっているように見えるのは気のせいか。
これは思わせぶりであると西郷は心の中で苦笑する。
「どこか、貴人にでも嫁がれるので?」
つい、単刀直入に尋ねてしまった。
「西郷!」
「っ!そんな・・・予定はないですけれど」
同時に上がった声に再び心中で苦笑した。
「まったく、前から無骨な男だとは思っていたけれど、加えて無作法とは知らなかったよ」
「これはいけませんなぁ」
「お前のことを言ってるんだよ、西郷」

噂では、この龍神の神子が将軍家に輿入れするだとか、はたまた一橋殿の懐刀と噂の二条殿と懇意だとか。
様々耳には入ってこれども、えらく華やかな面々ばかりで、さすがの御家老も影が薄まってしまう。
にも関わらず。

他人にやるにしろ、手元に置くにしろ、手ずから仕込むなど何とも酔狂だ。

「さて、無作法を承知で。先ほどの上手い茶をもう一服頂けませんかな、神子殿」
「もちろんです。ちょっと待ってくださいね」

この小さなままごとはいつまで続くのやら。

時折思い詰めたような眼をしたり、表舞台から引くと言ってみたりしていたのが、このところは形を潜めている。
こと、御家老の様子を見ている分には薩摩藩にとって損は無い。
彼女がこうして、ひらひらと掴めぬ桜の花びらのように行ったり来たりしている今の所は。

「ゆきくん、また順序が逆だよ」
「あ、すみません」

少しの不安を微笑みに溶かしたままで、西郷は再び二人のやりとりを眺めるのだった。

【終】

(2012-11-26up)

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