「……というわけだ」
「はい」

眼前で、神妙な顔をして相づちを打つのは龍神の神子なる少女である。
いつからか、目付の邸で駕篭を待つ間に、龍神の神子と言葉を交わすのが常となった。
年頃の娘が、面白くもないだろう政やら世情の話にうなづいている。
はじめは、すぐに飽きるだろうと適当に話したのだが、真面目に聞き入る。それどころか、時折こちらも驚くような開明なことを言うものだから、今では、聞かせて反応を見たいとすら思う自身がいるほどだ。
しかして、今日も龍神の神子、蓮水ゆきは湯のみを手にしたまま、こちらを見上げてうなづいていた。
律儀なもので、湯のみを手にしておきながら、こちらが話し終えるまでは決して口を付けない。
瞬きすら忘れたのではないかと思うほど静かに佇んでいる。
「神子、そろそろ退屈になってきたのではないか?」
「いえ、そんなことないです」
問いかけると、湯のみから茶をひと口含んだ後、微笑みとともに返された。
「つい、政のこととなると熱く語りすぎるな。近侍らなど話して幾らもたたぬ内に厭な顔をする」
冗談めかして言えば、そうなんですか?と笑う。
「当の自分がそろそろ飽いてきた」
「それなら、違う話をしませんか?」
構わないと目線で告げると、神子は言葉を継いだ。
「小栗さん、頭巾を被って動き回るのは窮屈じゃありませんか?」
「そうか否かと問われればその通りだが、仕方があるまい。顔を晒すことは出来ないのだからな」
「大変ですね」
「立場も役目もあるのでな」
「もし、今日一日好きな事をして過ごして良いと言われたら何をしますか?」
「それはまた…」
愚にもつかぬことをと思ったが口には出さない。神子自身は何も含みは無いのだろう。好奇心に満ちた目でこちらを見ている。
「では…」
くだらないと思えど、江戸の為、粉骨砕身働く神子をたてて答えをかえす。
「釣りでもするか。糸を垂れて気長に待ちながら書でも読もう」
「素敵ですね。私は山で落ち葉を集めて焚き火をしようかな」
「火遊びか。頂けないな神子」
「それじゃあ、私も小栗さんに着いて行って釣りをします」
「なんだその答えは。ならば、馬に乗って遠駆けに出るか。神子、お前は馬は乗るのか?」
「何度か乗ったことはありますけれど、ひとりで駆けさせるのは無理です」
「そうか」
「小栗さん、乗馬は得意ですか?」
「それなりにはな」
「それなら、私に乗りかたを教えて貰えませんか?」
「構わんが……」
言って言葉を切る。
「これは、仮定の話なのだろう?」
「そうですけれど……」
真実残念そうに見つめてくる。
「情けない顔をするな。他には何かあるのか?」
やむを得ず話を向けてやると途端に花がほころぶ様に笑む。
「それじゃあ、本当に”もしも“の話をしましょう」
「何だそれは」
「私は、竜宮城に行ってみたいです」
「そういうことか。ならば……」
口にしようとして詰まる。簡単に言うには重すぎる現実が頭の中に鎮座している。
「小栗さん?」
「……もし、叶うならばこの国を出て、広く世界を見聞したいものだ」
「留学したいってことですか?」
「そうだな」
もしも、この身が徳川家のものでなく、ただの小栗忠慶としてあったならば。
「ただの一介の武士だったなら、すぐにでも飛び出しただろう。町人であれば日銭を稼ぎ、釣りをして絵を描いて暮らす」
再び、眼前の神子は神妙な面持ちとなった。
「小栗さんは、今の立場が嫌ですか?」
「嫌ではないさ。これが天命だからな」
「私も、時々ですけれど町のお茶屋の娘だったらどうだろうって思う事があります」
「お前が茶屋の娘か」
「小栗さんは、一介の武士ですか?」
しばしの沈黙が場を支配する。
「もし…、お前は茶屋の娘で、俺は一介の武士であったなら」
「はい」
「出会ったなら、どうであろうな」
「そうですね……」
少し悩む素振りを見せたあと、神子は晴れやかに言った。

「今と変わらないです。きっと、私は小栗さんのことを好きになると思います。本質は変わらないですから」

その“好き“にどれほどの意味も無い事など、知っていながら。
ゆっくりとした鼓動が己を脅かす。僅かに心が痛んだ。

「まあ、すべて仮定の話。つまらぬ戯れ言は忘れることだ」

この場限りの、泡沫の言葉遊び。己に言い聞かせる様に繰り返す。
駕篭が来たと、呼ぶ声がした。

「お話しして下さって有り難うございました。帰り道気をつけてくださいね」

変わらぬ微笑みでお前は言う。
もしも、本当に嘘偽り無く、真の心を見せたならば。
お前は何と言うのだろう。

「ああ、お前も気をつけろ」
「小栗さん、また明日」

心の奥底に沈み込んだ真の心を見せたならば。

 

【終】

(2012-07-11up)

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