「はぁ、もういい加減にしてよね」
およそ晴れの日らしからぬ口調でリンドウがぼやいた。
「なんでぇ、折角の嬢ちゃんが居る正月だ。ちっとくらいはいいじゃねぇか」
「ちょっとねぇ…」
ゆきが、龍神の神子としての務めを果たして初めて迎える江戸の正月である。
ようやく小うるさい小姑たちも元の世界へ還した。 二人水入らずで過ごしたいところだが、正月は忙しいのが常である。
「まぁまぁ、もう一杯どうだい」
「あのさ、龍馬くんは国に帰らなくていいのかな」
「心配ご無用。呼んでくれたところが俺のふるさとってさ。人とのご縁に勝るもの無し。生まれの故郷は心にあればいいってもんじゃぁないんかね」
「よっ、龍馬よく言った!」
「へへっ、そりゃあ師匠がいいからなぁ」
恒例のあいさつ回りの最後に勝の邸を選んだのが間違いだった。
すっかり出来上がった龍馬と、もともとノリのいい安房守に捕まってしまってこの様である。
「しかし、お目付けは酒に強いな。俺ぁここまでの御人は久しぶりに見たぜ」
「公家育ち舐めないでよ。年がら年中行事で酒を飲まされるけど、酒に呑まれたら終わりだからね」
「ははぁ、そりゃ確かにそうだ。土佐ものは茶のように酒を飲むけど、宮仕えも大変っちゅうことか」
それにしたって、土佐の空吸は酷い。
正月から無骨な器を持ち出して底が尖っているから置くことが出来ない。歓迎の証にしたって、この調子で飲まされ続けたら体が持たないだろう。
ふと、横に目をやると、その空吸を手にしたゆきが笑みを浮かべて勝に相槌を打っている。
あんなにか細くて儚げなのに、この正月独特の耐久戦によくも倒れないものだ…と、妙な感心をしてしまう。
◇◇◇
はっきり言って、正月は忙しい。
それは武家でも公家でも大した違いはなく、元旦からてんてこ舞いだ。
特に、この世界、この江戸を守った功労者たる神子殿が初めて迎える正月ということで、当然のことながら、あちらこちらに引っ張り出されることになった。
断れば良いものを、彼女はそれにほとんど全部応えている。
まずは、元旦。
明け六つ半には登城して将軍以下幕閣達に年賀の挨拶をする。
異例中の異例だが、龍神の神子を伴いあいさつ回りをすることになったリンドウは大変だった。
ただでさえ、中間管理職はあいさつ回りの数が多い。 常なら正午には退出できるところを、とりあえず上司連中全員にあいさつを終えた頃には日が暮れていた。
しかも、ようやく退出しようとしたところで一番の上司に捕まったのがいけなかった。
「神子、あいさつ回りは終えたのか」
廊下の途中で声を掛けてきたのは一橋慶喜。 龍神の神子の活躍で次期将軍の地位を確約された実質の幕府第二位のひとだ。
派閥争いの最中、幕臣「小栗忠慶」に身をやつして駆け回ったのも記憶に新しい。
「はい。先ほど終えたところです」
ゆきが律儀に答える。
「朝から今までずっとか」
「そうです。思いのほかごあいさつをする先が多くて」
慶喜は少し疲れた様子で告げるゆきを見てからリンドウに視線を合わせた。
「さもありなん…と言ったところだが、少々神子には酷であったろう」
「僕のせいじゃないですよ。貴方達幕閣の人数が多いのが悪い」
皮肉を返せば咳払いをした後、再びゆきに向き直る。
「神子、餅は食べられるか」
「はい。大好きです」
「ならば、邸に寄っていくといい。雑煮を馳走してやろう」
「わぁっ、嬉しいです!朝早くからずっとごあいさつでお腹が空いてたんです」
「ちょっと神子殿…」
少しばかり嗜みの欠けた物言いにリンドウが思わず苦言をする。
一方、慶喜は裏表のない様子に満足気に微笑んだ。
「腹が減っているなら、御節も出してやろう」
「はい、黒豆とかお煮染め美味しいですよね」
「それが好物か?」
「あ、錦玉子も甘くて食べると幸せになります」
「安上がりなことだ。好きなだけ食べたらいい」
言いながら、二人は邸の方に向かって歩いていってしまう。
明日も引き続きあいさつ回りがあるゆえに、早々に引き上げるつもりが大誤算だ。
どことなく渋り気味になる足取りに”美味い酒と肴もあるぞ”と慶喜が付け加える。
溜息を一つついてからリンドウは二人の後を追ったのだった。
結局、一橋邸を辞したのは夜も更けた頃になった。
出された膳は、どれも正月料理とは思えぬ程美味しくて、舌と目を楽しませてくれるものだった。 加えて、酒も上等で美味いものだから、つい長居してしまった。
「とっても美味しかったです」
土産に栗金団を持たされたゆきは、嬉しそうに微笑む。
「御節料理は、君の世界でも食べるの?」
「はい。お家の御節は何段かの重箱にお料理を詰めてありました」
「へぇ。節会の儀式みたいだね」
「儀式…はやらないですけれど、お屠蘇を飲んだりはします」
「なるほど、興味深いね」
「こちらでは、大皿に御節料理を盛るんですね。あんなに沢山のお皿が並んで驚きました」
正直なところ、思いのほか一橋家の人々が龍神の神子に好意的で、あそこまでのもてなしを受けたことにリンドウ自身も面食らったのだが、慶喜も珍しく楽しそうにしていたこともあり、穏やかな気持ちで帰途に着いたのだった。
二日目。 再びあいさつ回りに繰り出す。
とりあえず上役たちへのあいさつは元旦に済ませたこともあり、二日目は主にゆきの御伴で知人の邸を回る。
かつての八葉たちを中心に、訪問すればお屠蘇をすすめられるのだが、ゆきに飲ませるわけにはいかないと杯はすべてリンドウが受けた。
大体、20~30軒近くを回るのだ。上役からでなければお断りしたところで角が立ったりはしないのだけれども、元来酒好きな連中なことに加えて、ゆきを挟んだ複雑な感情からちょっとした意地悪もあるのだろう。 桜智を除いてほとんどの邸で押し売り的に酒を飲まされることになった。
「チナミくんに総司さん。アーネスト、桜智さんはご挨拶できたけれど。…龍馬さんはどこへお出かけなのかな」
本拠地が江戸に無い連中のうち、龍馬は江戸に留まっているというように聞いていた。
それで、馴染みの宿屋に向かってみたものの、前日から留守にしているという。
「彼も知り合いが多い身だし、あちらこちらあいさつに回っているんじゃないのかな」
「そう…ですね。少し残念だけれど、また日を改めることにします」
「そうしたら、後は薩摩藩邸に寄ればあいさつ回りも終わりか」
「はい。平田さん元気にしてるかな」
ぐるりと回って最後は薩摩藩邸の小松を訪ねる。
彼もまた年明けからの政権交代やら何やらを控えて、江戸で年を越していた。
藩邸は年始ということもあってか、ひっきりなしに人が出入りしていて、これでは小松に対面するのも一苦労と思いきや、そこは龍神の神子の来訪である。
「まったく…休む間もないね」
飲めや唄えやの賀詞交換の場とは別室に通されてからすぐに小松は現れた。
「小松さん、あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう、ゆきくん。お目付け殿にも、今年もご縁は切れそうにありませんね」
「ご縁が切れなくて申し訳なかったね。まぁ、色々と幕府も変わるけれどよろしく頼むね」
茶と酒を女中が持って来たのに合わせて、開けられた障子戸の隙間から白い猫が滑り込んでくる。
「わ、平田さん。今年もよろしくね」
ゆきが膝元までやってきて体を摺り寄せて気持ちよさそうにしている猫の背を撫でる。 その光景は、相変わらず穏やかでついさっきまで冷たい会話を交わしていた男たちも眦を下げた。
『おーい、帯刀どこいったー』
ふと、どこかで聞いた声がして小松がため息をついた。
「この声…」
「ゆきくん、お察しの通りだけれど返事をしたら駄目だよ」
声と足音が近づいたかと思うと、再び遠ざかっていく。
「ほら、見つからないうちに帰った方が身のためだよ。案内させるから」
「でも…」
「帯刀くんの言うとおりだと僕も思うよ」
リンドウが、ためらうゆきを促して座を立とうとした時だった。
「おっ、こんなところに居たのか…ってぇ、お嬢!?」
がらりと廊下側の障子戸が開いて龍馬が現れた。
相当酒を飲んでいるのだろう。いつも以上に陽気な雰囲気で顔も赤い。
「あけましておめでとうございます、龍馬さん」
「おう、おめでとさん!今年もよろしく頼むぜ」
ゆきが声をかければ嬉しそうに言葉を返す。
「こりゃあ、幸先のいい。まっさか、ここでお嬢に会えるとは」
「お宿に訪ねたら、龍馬さん外出されてると聞いたから。私も会えて嬉しいです」
「こら、あんまり増長させるようなことを言うもんじゃないよ、神子殿」
「そうだよ、ゆきくん。あのね、龍馬。私はこの邸を志士連中の社交場として明け渡したつもりは無いんだけれど」
「いやぁ、ここに居ると人が集まってくるから助かるぜよ」
「君もあいさつ回りに行かなくていいの」
いたいけな少女が酔っ払いに絡まれるのを防ぐべく、リンドウと小松が横やりを入れれば龍馬が思い出したように手を打った。
「そうだった。勝先生のところにあいさつに行くんだった!」
「なら、さっさと行きなさい。ゆきくんも今はどこも騒がしいからまたおいで」
「はい。お邪魔しました」
「いつでも歓迎するよ。正月明けには高杉たちもまた江戸に来るようだしね」
「そうしたら、また改めて来ますね」
小松に暇を告げて邸を出ようとすれば、龍馬が慌てて追ってくる。
「お嬢にお目付けも、この後の予定はどうなってるんだい」
「どうもなにも。邸へ帰るよ」
「それならさ、俺と一緒に勝先生の邸へ行かないか」
「お断りするよ。僕は直接関係ないし」
「つれないなぁ。なら、お嬢はどうだい?」
「私は…」
ゆきは、途中で口をつぐんでリンドウを見上げてくる。
こういう時は、行きたい気持ちはあるけれどリンドウの様子を伺っているという場合が多い。
(君の選択は多分間違っているよ…)
そう言ってやりたい気持ちもあったけれど、この先ゆきが江戸で生きていくのに知己は多いに越したことはない。
いざという時は、自分が盾になればいいか。
「ゆきがしたいようにしていいよ。僕はついていくから」
そんな覚悟を決めて彼女に告げれば、ゆきは嬉しそうに龍馬へと了承する旨を伝えたのだった。
◇◇◇
そして、場面は勝の邸に戻る。
勝の邸も、薩摩藩邸に劣らず人の出入りが激しい。
その中で挨拶やら議論やら談話やら。のべつまくなしに飲み食い会話が消費されていく。
調子にのった龍馬が地の酒と空吸を持ち出して果てない宴席が続いていた。
こういった場には慣れているリンドウでさえ食傷気味なのに、お茶だけを伴に微笑みながら嵐の渦で相槌を打ち続けるゆきは、ある意味大物かもしれない。
それでも、少しうとうとと眠気に襲われているのが見えて、リンドウは一気に酒を飲み干すと座を立つ。
「安房守、さすがに連日連れまわして彼女も限界のようですので、我々はお暇します」
視線でゆきの方を示せば、勝も納得したようだ。
「そうかい。楽しい正月を過ごせたと嬢ちゃんにも礼を言っといてくれ」
「ええ、伝えます」
「食えない目付との話もなかなか面白かったぜ。あんたの食えない上司にもよろしくな」
「はいはい。承知しました」
にやりと笑んだ勝にこちらも笑みを返すと、ゆきの腕をとって邸を後にした。
朝から出たまま、夜四つを回っていた。
ようやく自邸に戻ったころには、駕籠の中でゆきが小さく寝息を立てていた。
起こしては可哀想だとリンドウが抱き上げると、眠いせいか彼女がぎゅっと首に腕を回してくる。
「ゆき、もうすぐ君の部屋につくよ」
「は…い、ありがとうございます」
眠そうに目をしばたたかせながら、ゆきが言う。
「みんなに会えて嬉しかったけれど…でも、やっぱりここが一番安心します」
「ここって…」
当然、この邸のことを言っているのに違いないのだけれど、こうやって抱き上げている状況下で聞くには甘すぎる言葉だ。
「ねぇ、ゆき。明日は二人でゆっくりしよう」
そうリンドウが耳元で囁くと、眠りに落ちる寸前の口元に笑みが浮かんだ。